社会学部ゼミブログ

2018.10.11

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  • メディア社会学科

ヒロシマ・朗読劇への挑戦から得るもの

ブログ投稿者:メディア社会学科 教授 永田 浩三

慰霊碑からみえる原爆ドーム

永田ゼミでは、論文を書くよりもドキュメンタリーやドラマ、アニメーションといった作品をつくって卒業する学生が増えています。表現手法はさまざまですが、その根っこにあるものは、ひとの話をきちんと聴けること、それを深く理解すること、そして理解したことを伝えることです。映像表現はパソコンのなかでの編集作業にそれなりにウエイトがかかり、ともすれば、自分の「身体」と離れてしまうような危険があります。

そこで、永田ゼミの3年では、それぞれが作品や論文にとりかかる前に、あえて自身のからだだけをつかって表現するということを、3年にわたって続けてきました。

今年のテーマは、原爆を体験した朝鮮半島出身のひとたちの手記や聞き取りをできる限り読み込み、それを朗読劇にして発表することでした。

慰霊碑の前で李鐘根さんにお話を聞く
4月は原爆体験全般について学び、5月からは手記などを読んで報告しあうことを続けました。ひとつの被爆体験がなぜもたらされたのか。その歴史的経緯、戦後、故郷に帰ってからの無理解、日本政府を相手にした裁判闘争・・・、そうしたことも併せて学び、50分あまりの脚本が仕上がりました。演じるにあたっては広島弁をマスターしなければなりません。NHKアーカイブスの太田恵さんに何度もゼミに来ていただき特訓を行いました。
韓国人慰霊碑に手を合わせる
8月25日。ゼミのみんなは広島の平和公園を訪れました。公園の敷地内には韓国人被爆者の慰霊碑があります。碑に手を合わせ、被爆者の李鐘根(リ・ジョングン)さんにお話を伺いました。李さんは当時国鉄職員。広島駅に向かう的場町で広電を降りたところで原爆に遭遇しました。
原爆資料館での朗読劇その1

翌26日。発表は平和記念資料館地下の第1会議室。世界中のひとたちがヒロシマについて学ぼうとやってくる「聖地」のようなところです。

会場はほぼ満席でした。高校生の姿もみえます。被爆直後の子どもを次々に失い、自身もひどいやけどを負い、子どもたちを荼毘にふすこともできなかった母。故郷に帰っても無理解と貧困にあえぎ、せめて毎日牛乳が飲める暮らしがしたいと訴える女性。日本政府を相手に医療保障を求めるため密航した男性の法廷での叫び。会場からはすすり泣きの声がもれました。朗読劇のあと、李鐘根さんから、自分たちが言えなかったことを代わりに言ってくれたようだという言葉をいただきました。

原爆資料館での朗読劇その2

学生たちは朗読劇から何を学んだのでしょうか。ひとりひとりさまざまでしょうが、わたしはこう思います。ひとつのセリフの裏には膨大な体験がある。それを理解して、自分のからだを通じて肉声にするためには、自分自身が理解できていないといけない。そのことは、これからインタビューをしたり、文献を読み込むにあたって、きっと生きてくるのではないかと。わかるって簡単じゃない。そのことがわたってくれたのではないかと、ひそかに期待しています。

ゼミ生たちの奮闘は、地元の中国新聞をはじめ4紙にとりあげられ、NHKや中国放送のディレクターも取材に来てくださいました。もしかしたら今後、東京でも発表の機会があるかもしれません。