リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2020.01.21

  • 国東農業研修

平田井堰・鳥居橋 砂田美優(2019年実習-16)

9/6はこの国東半島農業研修の最終日だった。朝、ご飯を頂いた後二日間お世話になった河野さんに色紙を渡した。色紙は二日間の朝ごはん、夜ご飯の写真をもとにしたイラストを佐伯さんが描いてくれた。また、全員のサインが入った色紙も渡した。玄関で記念撮影をし、別れを惜しみながらもおふじさんを後にした。

 

前日に櫻井さんに解説していただいた棚田とも別れを告げ、宇佐神宮を過ぎ、平田井堰に向かった。着くと松木郁夫さんと佐藤悠登さんが出迎えてくださった。井堰には欄干のない橋が架かっており、上流側には橋台部が残っているのが見えた。欄干がないのは橋が埋まってしまうほどの増水時、欄干があると漂流物が引っかかってしまうからで、橋台部はかつてそこには鉄橋が架かっていたことを示す橋脚の名残であるそうだ。井堰とはもともと台地の上など川の水面より高いところにある水田に水を引くため川をせき止めて作ったもので平田井堰は平安時代、当時権力のあった宇佐神宮の協力で作られたものであるそうだ。今でも川沿いで水田が見られるところもあるが平田井堰の近くでは以前水田であったところが減反政策の影響で大豆畑となっているところもあった。

 

平田井堰から少し移動した崖の近くに川と水田があるところでは崖の中に水路を通したときにできた横穴(堀くずを横穴から出した)も見ることができた。その後、鳥居橋というところに行った。鳥居橋は石橋でアーチ状をしており、大正5年に架けられ、平成9年の台風による増水時でも流されなかったという記録が残されていた。橋脚の上流側の部分は平田井堰の端に欄干がなかったことと同じ理由で漂流物が溜まらないように少し尖っていた。また、この石橋ができた背景として向かい合う町同士が関りを持っていたため橋必要だったこと、阿蘇山の火砕流の影響で加工しやすい凝灰岩があったこと、その石を加工する石工さんが多く存在したことなどが関係しているそうだ。

 

鳥居橋はドーム状の眼鏡橋のような形をしており、この造りは橋の上からの荷重により強度が増すような造りになっているとも教えてくださった。その近くには狼煙を上げていた跡地もあり、昔のルートのまま現代で実践してみると40分ほどで情報伝達が可能であったそうだ。

 

お昼ご飯へ向かう途中、「仙の岩」という名勝に立ち寄った。名勝とは自然によって作られた景観であり、文化財のような様なもののため手を加えるは必要最低限で届け出が必要であったりするものであるそうだ。眺めてみて上るのが大変そうな山だと思うほど崖のような見た目をしていた。松木さんの「景観には必然がある」という言葉が印象に残っており、どのような自然風景にもそうなった原因が何かあり、風景はその原因を知る手掛かりとなるものなのではないかと思った。

  • 河野さん夫妻と農家民宿おふじの玄関先で集合写真。愛犬りきが一緒でないのは少し寂しい。撮影日時: 2019:09:06 08:44:44
  • おふじでのお別れでは皆、洋子さんとハグハグをして出立。撮影日時: 2019:09:06 08:54:29
  • 鳥居橋にて。撮影日時: 2019:09:06 10:51:00
  • 平田井堰で松木さんのお話を聞いた。撮影日時: 2019:09:06 10:10:57
  • このポイントは歴史上、どの時代にもぜひ橋を架けたかった場所であり、それぞれの時代の技術で橋が、高速道路、県道、そして鳥居橋と何重にも架けられている。撮影日時: 2019:09:06 11:02:20
  • 研修の最後となる安心院を離れるにあたって松木さんから人生の生き方のヒントとなるお話をいただいた。撮影日時: 2019:09:06 16:07:58