リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2020.01.21
- 国東農業研修
夕日観音・朝日観音・田染荘 櫻井成昭さんと踏査 吉田朱音(2019年実習-14)
最初に我々は夕日観音に向かった。険しい山道(階段状・傾斜30~40度)を上ると、田染の棚田が一望できる高台にたどり着く。地元ではなかなか見ることができない景色であり、また、写真の中にいるような不思議な感覚になったことを今でも鮮明に覚えている。風に揺れる棚田の稲が景色に動きをつけてより穏やかな空気を感じた。そこには灯明が置かれていた。灯明があるのは神様(夕日観音)がいることを知らせる目印だという。江戸時代は明かりもほぼないはずなので、村から見れば高台ですぐに見つけられたであろう。
そこから少し行ったところに夕日観音がある。観音様は、金毘羅様といい本来は海や船の神様である。しかし、国東では農業の神様として祀られている。夕日観音は800年前にできたものとされている。木造の一木造である。一木造は頭と身体が同じ木でできていればたとえ腕が他の木と組み合わせていたとしても一木造というらしい。国東市では一木造のものが多くみられるという。また、石の仏像も多いという。なぜ岩の中にあるように作られたかというと、この岩山は火砕流が堆積してできたものであり、掘りやすいところを掘った結果ごつごつした場所=不思議な場所=神様がいる神聖な場所とされるようになった。今も昔も見えないものに人々はすがりたくなるのだ、と櫻井さんはおっしゃっていた。
次に私たちは朝日観音に向かった。朝日観音は夕日観音の反対側に位置する。夕日岩屋よりも険しい道を上り、人が7、8人しか立てないような岩場にたどり着く。朝日観音は夕日観音と同じく一木造であるが、実物は顔が焼けてしまっている状態だった。昔に火事が起きてしまったという。保存が最近まできちんとなされなかったため保存状態は悪いが、こちらも夕日観音と同じ役割を果たしている。
岩山を下り、私たちは櫻井さんから田染の昔と今の説明を受けた。田染の棚田に向かう途中で江戸時代の道のりをそのまま保存している場所があった。江戸時代の村絵図と見比べてもほぼ同じであるという。その道には高札場跡があり、江戸時代をわずかであるが感じることができた。この保存が保たれているのも地域の人々の協力の下であると櫻井さんはおっしゃっていた。実際、地域の方々が支援してくれることで歴史は後世に語り継がれていくのかもしれない。
その後は田染の稲作について学んだ。水路の使い方やまぶという水を通すトンネルを江戸時代後期から利用していたこと、コミュニティによって水路を使う優先順位が変わることなど、江戸時代の稲作と人々の工夫を学ぶことができた。また、平成16年に新嘗祭において奉納するお米を作った田があった。この田は800年前からあるといわれ、半湿田(常に半分ほど湿った状態にある田)である。そのため、日照りが続いても確実に採れるのである。湿っている理由は田の近くにある雨引からの湧水だという。面白いことに、この田の近くに雨引神社という神社があり、そのちょうど正面に夕日観音がある。何か関係があるのではないか、と櫻井さんはおっしゃっていた。
櫻井さんは、このフィールドワークの中で、多くの人生の教訓を私たちに教えてくれた。例えば、フィールドワークをして現場を実際に自分の目で見ることが肝心だとおっしゃっていた。教科書や文献にあたることも大切だが、現場に足を運び、肌で感じることが大切だと今回の研修で改めて感じた。また、ご縁やタイミングが大事だともおっしゃっていた。櫻井さんと出会えたのもご縁があったからであろう。これからも何事にもチャレンジしていきたいと思った。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
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奥には素晴らしい棚田の風景が広がる。撮影日時: 2019:09:05 10:42:53 -
夕日岩屋にて櫻井さんから説明を受ける。撮影日時: 2019:09:05 11:00:01 -
朝日観音 一木造であることがはっきりとわかる。撮影日時: 2019:09:05 11:36:37 -
田染の現状と稲作について櫻井さんから説明を聞く。撮影日時: 2019:09:05 12:31:58 -
田染の風景を背景に愛宕様の常夜灯の前で櫻井さんを囲んで記念撮影。撮影日時: 2019:09:05 10:49:35 -
小崎の田園風景の成り立ちの重要ポイントを指し示しながら歴史的観点から解説していただいた。撮影日時: 2019:09:05 11:14:20