リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2019.03.19
- 国東農業研修
大分県立博物館(先哲資料館櫻井学芸員)、平田井堰 古谷凪沙(2018年実習-19)
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民族衣装を着て記念撮影。丸橋先生もこれで現地の方の仲間入りである。撮影日時: 2018:09:05 14:47:23 -
展示される作品は奇妙な形のものばかり。見ているだけで日本ではないどこか別世界の雰囲気を感じる。撮影日時: 2018:09:05 14:36:51

一通り企画展を見学し終えた後、以前大分県立博物館で学芸員をなさっていて現在は先哲資料館の学芸員をされている櫻井さんに常設展を案内していただいた。
まず常設展示室入口前の鏝絵について解説を受けた。鏝絵とは漆喰と鏝を使って主に壁などに描かれたもので、特に安心院に多く見られる。昭和の初期にはすでに鏝絵の職人はいなくなってしまったそうだ。研修3日目に訪れた萱島酒造にも同じく漆喰と鏝を使って「西の関」と書かれたものがあったことを思い出す。鏝絵の展示作品には招き猫や鯛、富士山などがカラフルに描かれたものが多くあったが、その中でも一番貴重なのは意外にも色が付いていない山ぶどうが描かれたシンプルな作品であった。描かれた、と書いたが実際は描いたわけではなく、漆喰をベタ塗りした上に山ぶどうの葉をおしつけることで山ぶどうの模様をつけたものだそうで、葉脈まではっきりと写っている。この山ぶどうの跡が重要で、当時の植物について研究をしている人たちにとってとても貴重な資料なのだそうだ。私たちにとってはただの作品でも他の視点から見ると全く別の側面があるのだとわかり、その視点や新たな側面に気づくことで人生の豊かさや面白さが変わっていくのではないかと考えた。
常設展会場に入ると部屋の中央に再建当初の富貴寺大堂の再現模型がある。午前中に訪れた静かで落ち着いた日本らしさを感じる富貴寺とは全く異なり、再現模型の富貴寺は色鮮やかな装飾と黄金に光る阿弥陀如来坐像でとてもきらびやかであった。本物の富貴寺とのまた違った迫力に思わず圧倒された。現在ほんの少し残っている赤色と、同じ時代に建設された平等院をもとに壁画の色を再現、絵の具も実際に当時の使われていたもので色を出していて赤は水銀、緑は孔雀石や緑青を使用しているそうだ。再現模型を製作するにあたり壁画はすべて人の手で描かれているそうで、大堂内一面を埋め尽くす細かな装飾とたくさんの仏さまをみて気が遠くなった。実際には封鎖されていて見ることができない千手観音の復元壁画も見ることができたが、かなり想像復元がおこなわれているという。また、富貴寺についての話だけでなく、南無阿弥陀仏とは簡単に言うとどのような意味なのかといったことや民衆に仏教を広めた親鸞たちは何がすごかったのかなど様々な話をしてくださり、私たちはひたすら感嘆の声をあげながらメモを取った。仏教に対して難しそうというとっつきにくいイメージがあったが、今回櫻井さんの解説を聞いておもしろそうな分野だと興味を持った。せっかく日本・東アジア文化学科にいるので、自分で調べたり講義をとってみようと思う。
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見上げるほど大きな白杵磨崖仏。岩にこれだけ大きい仏様を彫り込んでしまう昔の人はすごい。今は褪せてしまったが、当時は着色されていたそうだ。撮影日時: 2018:09:05 16:07:22 -
御殿灯篭は細かな作りでとても豪華。ドールハウスのようでまるで灯篭には思えない。これを燃やしてしまうのは惜しい気もする。撮影日時: 2018:09:05 16:26:22

今回解説を受けた中で一番衝撃的だったのは私が認識する日本の文化と実際の文化の違いである。日本のお寺や仏像は白黒で落ち着いた静かなイメージがあったのだが、実際はそうではないことが分かった。私は昨年もお話を伺っていたため、富貴寺が実はとてもカラフルであったことは知っていたのだが実際に再現模型を見たのは今回が初めてで改めて衝撃を受けた。そしてさらに驚いたのが摩崖仏にも色がついていたということである。あの岩壁に彫り込まれた仏さまたちがカラフルだったなどあまりにも想像がつかない。昔はろうそくの灯りしかなかったため白黒だと見えなかったと聞きなるほどと納得したが、それでも日本らしくないと思ってしまう自分がいる。それは「日本らしさ」を思い込んでいるだけであり、それ以外にも私たちが思い込んでいることはたくさんある。櫻井さんは先入観や思い込み、自分だけのフレームを外しいろんな見方を持つことの大切さを話してくださった。自分と他人は物差しが違うが、これが同じだと考えてしまうとかみ合わないことも多くいらいらや問題が起こりやすかったりする。私もつい「なんであの人はこれをやってくれないんだろう!」といらいらしてしまうことがあるが、そうではなく常に他の人のフレームがあるということを頭に置いたうえで生活をしていきたい。また日本文化についても先入観にとらわれず常に新たな視点で見ていきたい。
そして最後は実際に平田井堰の前まで移動し、解説していただいた。平田井堰とは駅館川の中流に位置する井堰で、二日かけて15km下流まで水を運んでいる。昨年は大雨の影響で水の水位も高かったが、今年は逆に日照りが続いたため水不足となり水量がとても少なかった。水は低いほうへと常に流れていくがこの水路はほぼ水平で100mで15cmしか高さが下がらない。どの位置から水を引けばいいのかといった綿密な計算が必要な井堰が作られたのはなんと1185年。どのようにして当時の人が計算をしこの井堰を作ったのかはいまだわかっていない。しかしとてもよく作られた井堰であるため作られてから約900年の間壊されることもなく、コンクリートなどで舗装されて今もまだ使われている。おそらくこれから先も駅館川の水を運び続けていくのだろう。昔の人々の経験や知恵の力のすごさを改めて感じた。