リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2019.03.19
- 国東農業研修
研修後の個人レポート 新井麻衣子(2018年実習-30)

私が今回の国東半島農業研修に参加した理由は母方の祖父が畑を持っていたため、小さい頃から自然に触れる機会があり、少なからず農業に興味があったこと、また4年しかない大学生活において、自分の意志でなにかに取り組みたいと思ったからです。この研修は有志の集まりであるため会ったばかりの人達と4泊5日を共に過ごすのは初めての経験であり、少し緊張していたのを今でも覚えています。
私は2日目の農業研修において、横山さんのねぎ農家に行きました。作業内容は「調整作業」という収穫したねぎを出荷する状態に仕上げる、いわゆる「農作物から商品に変わる場」の重要な作業でした。この作業は人間の目を頼りに行うため、機械ではなく手作業で行わなければならないのです。
そこで横山さんは「一芯一葉」という言葉を教えてくれました。一芯一葉とは、一つのねぎの芯に対し葉が一枚の状態であることをさします。なので一芯一葉以外のねぎは捨ててしまうのです。作業中、捨ててしまうにはもったいないねぎが多くありましたが、ここで育てている「大分味一ねぎ」は東京を中心に卸しているため、大分の横山さんの農家から東京にあるスーパーに届くまでの3日のあいだに色が悪くなってしまうことから、仕方がないことだと教えてくれました。

私はこのお話を伺う前はスーパーで野菜を選ぶ際に、並べてあるものの中からなるべく綺麗なものを選ぶようにしていました。しかしスーパーで並べられている野菜は、農家の方々が丹精込めて作ったものであり、私のように外見にこだわる消費者がいるから多くのねぎが捨てられてしまうという実態を学ぶことができました。今では野菜は八百屋に限らず、スーパーからコンビニまで様々な場所で当たり前のように売られています。しかし、それらの野菜は農家の方々が台風や酷暑などの天災を乗り越え育て上げた野菜であり、また一つ一つ丁寧に手作業で調整され、自信をもって出荷された野菜なのだと今では理解することができます。
有難いことに今回の農業研修は空腹になることが全くないほど、大分県並びに国東半島の特産品や名物を使った料理、また自給自足している農家の方々の美味しい手料理を多く頂きました。中には、自分たちでねぎを刻み餃子の皮で包んで揚げた揚げ餃子や、蒸かした餅米を立派な臼に入れ、交代で搗いていき、苦労してできた餅など食において貴重な体験をさせて頂きました。私の両親は共働きであるため、平日の夜はスーパーで売っている惣菜やコンビニ弁当が多く、私自身もそれはそれで美味しく、また手間がかからないことから便利だと思っていました。しかし今回の研修を通して、自給自足している農家の方をはじめ新鮮な野菜を東京に届けようと努力している姿を目の当りにしたことで、既に作られたものではなく、野菜などの食材を自分たちで調理することで、改めて農家や食材に対する有難みが生まれてくるのではないかと思うようになりました。
また農業研修のプログラムの他にも、この研修を通して学べることがたくさんあります。私たちが3日目に泊まった農家民宿「おふじ」は携帯の電波が届かないほど山奥にある民宿であり、また道に街灯がないことから、私たちは自由時間に星空を見に行きました。空を見上げてみるとそこには都会では絶対に味わえない満天の星空が広がり、私たちは道に寝転がり、流れ星や星座などを観察して楽しみました。これはまわりに街灯など人工の光がないからこそ見ることのできる景色ですが、東京では街灯や建物の明かりは、夜道での安心や安全を与えてくれる存在となっているため、これらの自然の賜物を身近に見る機会を奪われてしまっている現状にどこか寂しさを私は感じました。
これは重要文化的景観に指定されている豊後高田市の「田染荘小崎の農村景観」にも同じことが言えます。日本では山を切り拓き、過剰な森林伐採で自然破壊をしてきました。この美しい景観もこのような形で指定しなければ、人間たちは平気で自然を壊してしまうのです。人間と自然との距離は時代が進むにつれ離れてしまっていると改めて感じました。