リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2017.09.19
- 国東農業研修
2016年国東研修(14)三浦梅園資料館

研修三日目の最後に訪れたのが三浦梅園資料館だった。三浦梅園資料館では、豊後聖人とも呼ばれた江戸中期の哲学者である三浦梅園の遺稿などが展示してあり、三浦梅園の生涯や思想について知ることができる。資料館のすぐ側には、昔と全く同じ造り方で建てられた建物である三浦梅園旧宅があり、中を見学させていただいた。
資料館に入ってまず、私たちは三浦梅園に関する映像を見ることになった。その映像からは、三浦梅園がどのような子供でどういった生涯を送ったのか。また、梅園の思想の一端を知ることができた。
映像を見た後で、資料館の学芸員である浜田さんから改めて、梅園の生き方を教えていただいた。梅園の、現実(自然)から学び現実にそれを戻していくという一貫した考え方。人間も含めた自然そのものの法則を理解し、そして理解した法則にしたがって人間がどう行動するのかが大切であるということ。哲学者ではあっても、哲学に基づいた人間の生き方というものを考え、考えたことを人々に広めていこうということ。さらに、この時お話していただいた、その人の持つものをいかに伸ばすかが教育において大切であるという梅園の考えは、現代の教育の中でどれほど実行されているのだろうかと思った。
資料館に入ってまず、私たちは三浦梅園に関する映像を見ることになった。その映像からは、三浦梅園がどのような子供でどういった生涯を送ったのか。また、梅園の思想の一端を知ることができた。
映像を見た後で、資料館の学芸員である浜田さんから改めて、梅園の生き方を教えていただいた。梅園の、現実(自然)から学び現実にそれを戻していくという一貫した考え方。人間も含めた自然そのものの法則を理解し、そして理解した法則にしたがって人間がどう行動するのかが大切であるということ。哲学者ではあっても、哲学に基づいた人間の生き方というものを考え、考えたことを人々に広めていこうということ。さらに、この時お話していただいた、その人の持つものをいかに伸ばすかが教育において大切であるという梅園の考えは、現代の教育の中でどれほど実行されているのだろうかと思った。
国東は瀬戸内海の要衝であったことから様々な考えや情報にふれていて、三浦梅園は67年の生涯のほとんどを故郷で過ごした。子供の頃から自然のあらゆることに関心を持ち、家にある本を読んで分からない言葉があれば、山一つ隔てた辞書のある隣村に行って調べていた。それと同時に、医者だった父や祖父から人を思いやることの大切さを学んでいた。その後、儒教を学び、自然の研究をしながら医者として生きる中で梅園は生涯で3度旅をしている。一度目は長崎で、鎖国をしていた日本では唯一外からものが入ってくる場所だった。そこで梅園は西洋の学問にふれ科学的学問の大切さなどを知り、さらに西洋の学問でも明らかでない法則や原理への探求をはじめるようになる。二度目の旅で訪れたのは伊勢で、梅園はその翌年に天地の条理を発見する。三度目の旅は再び長崎で、息子や門下生を従えて2ヶ月もの旅をしている。梅園は西洋の学問を学び、地動説をこの時知ることとなる。こうした旅も含め、梅園の人生は疑問と学び、研究の繰り返しであるように感じた。それに加え、塾の先生として慕われていたことや、杵築藩に政治や経済の案を提出していたこと、困った人を助けようとする人柄からは哲学者としてだけではない梅園の姿を知ることができた。

梅園は中国古来の自然哲学である気の哲学をバックボーンとしていた。そうした中で一即一一、一一即一という条理が、あらゆる現象や存在を貫いていると考えた。この一、一という規定が優れているのは全く対等でありながら、対物性を示すことができる点にあった。また、一即一一の一を円に、一一を直と捉えることであらゆることを直と円で説明した。こうした梅園の考えは難しく、簡単に理解することのできないものではあったが、なるほどと思うことも多く、少しずつ咀嚼し、もっと梅園の考えを知りたいと思った。
資料館の展示は、哲学・科学・政治経済学・教育学・文学・医学に分けて梅園の業績が分かりやすく説明してあり、梅園の著した玄語・贅語・敢語や天球儀、顕微鏡などを見ながら学ぶことができた。研修メンバーの中には学芸員を目指している人もいて、浜田さんに学芸員に関する質問もしていた。展示の中で、特に私の印象に残ったのが梅園の道徳観だ。牛や馬、車輪にいたるあらゆるものに道徳があるという梅園の考え方は興味深く感じた。時間が限られていたため、全ての展示をじっくり見て、説明を読むことができなかったのがとても残念だ。
最後に、三浦梅園旧宅に向かった。この建物が立派なのは、三浦梅園が商屋の分家で裕福だったからだ。厚みのある茅葺の屋根は、暑い夏でも驚くほど室内を涼しく保ってくれるという。浜田さんは、吉田兼好の徒然草を例にとりながら、日本の家の大事なところは夏にいかに快適に過ごせるかだとおっしゃった。家の中では、今でもかまどを使っていることにとても驚いた。さわってみると暖かく、2日に一度ほど火を焚くのだという。さらに、かまどで薪を燃やすにも関わらず家に煙突がない理由は、虫よけと家を守るためだそうだ。家の中が黒くなっていることからも分かるように、煙を部屋じゅうの木と茅を通すことで、煙に含まれるタールがカビ・細菌の繁殖を防ぐのだ。煙突のないかまどは、家を守るための知恵だった。家の中にも少し上がって見て回ることができた。襖などがそれほど高くないことや間取りなど、現代の建築物と異なるところが多々あった。
三浦梅園の生涯は、私に本当に学ぶということは何なのかを考えさせるきっかけとなった。また、初めて哲学というものの考え方を知った時の高揚感をもう一度思い出させ、年をとるごとに簡単に抱けなくなってしまうなぜという問いに向き合う機会を与えてくれた。そして、三浦梅園の考え方からは今の時代だからこそ持つべき姿勢や考え方を学ぶことができた。また、近頃抱いていた、文系の学びをどのように活かし社会にアプローチすべきかという私の疑問に対する答えを掴む手がかりにもなったように思う。
最後に、三浦梅園旧宅に向かった。この建物が立派なのは、三浦梅園が商屋の分家で裕福だったからだ。厚みのある茅葺の屋根は、暑い夏でも驚くほど室内を涼しく保ってくれるという。浜田さんは、吉田兼好の徒然草を例にとりながら、日本の家の大事なところは夏にいかに快適に過ごせるかだとおっしゃった。家の中では、今でもかまどを使っていることにとても驚いた。さわってみると暖かく、2日に一度ほど火を焚くのだという。さらに、かまどで薪を燃やすにも関わらず家に煙突がない理由は、虫よけと家を守るためだそうだ。家の中が黒くなっていることからも分かるように、煙を部屋じゅうの木と茅を通すことで、煙に含まれるタールがカビ・細菌の繁殖を防ぐのだ。煙突のないかまどは、家を守るための知恵だった。家の中にも少し上がって見て回ることができた。襖などがそれほど高くないことや間取りなど、現代の建築物と異なるところが多々あった。
三浦梅園の生涯は、私に本当に学ぶということは何なのかを考えさせるきっかけとなった。また、初めて哲学というものの考え方を知った時の高揚感をもう一度思い出させ、年をとるごとに簡単に抱けなくなってしまうなぜという問いに向き合う機会を与えてくれた。そして、三浦梅園の考え方からは今の時代だからこそ持つべき姿勢や考え方を学ぶことができた。また、近頃抱いていた、文系の学びをどのように活かし社会にアプローチすべきかという私の疑問に対する答えを掴む手がかりにもなったように思う。