リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2017.06.16
- 国東農業研修
2016年国東研修(8)横山さん方での農業体験
横山さんのハウスは田んぼに囲まれるようにあった。そのハウスでまずネギの調整作業を体験させていただいた。この調整作業では傷んだネギの葉だけでなく、折れたネギや3本以上ついているネギの葉などの、食べられる部分も大量に捨てる。というより、捨てなくてはいけない部分のほとんどが食べることができるものだ。この部分を捨てないと、傷みやすくなったり消費者が見栄えが悪いと思ったりして買ってもらえないそうだ。地産地消にも限界があるので、長くもたせるために傷まないよう捨てるのは分かるが、ただ見た目のためにこれほど捨てられてしまうのかと思うと、消費者としてとても申し訳なかった。

ある程度調整作業を終わらせた後は、別のハウスに草取りに行った。歩いて数分くらいかかるハウスまでの道も田んぼに囲まれている。だが、稲でなく雑草だらけの田んぼもあり、今はやはり耕作放棄地が増えているのかを横山さんの奥さんに尋ねてみたところ、実は昔よりも今の方が減っているらしく、そのことに非常に驚いた。しかし、現在稲作をやっている農家の方は65~70歳代の方が多いため、若い人が増えないまま高齢化が進むと耕作放棄地が増えていってしまうとおっしゃっていた。

草取りに行ったハウスのネギはまだ小さく、雑草の方が大きいくらいだった。特にスベリヒュウという雑草はかなりの大きさに育っていた。が、根をそこまで深くはらないため、抜きやすかった。逆に小さくても鎌で取れないくらい深くまで根を伸ばしていた雑草は本当に取りづらかった。作業した日は涼しかったが、これを真夏日にやったら大変だろうなと思っていたら、やはり草取りは特に夏の季節が辛いらしい。雑草の成長も早い季節で、ハウスの中で行うため風が入らず、日差しも強くて汗だくになるとおっしゃっていた。また屈んでの作業になるため、どうしても腰を痛めてしまうのだという。そのため普段は朝早く、まだそれほど暑くない時間に行うらしい。こういった重労働があるという側面からも、若い人が入ってこないと農業の維持は難しいと思う。

草取りの後はビニールハウスのそばにある武蔵町農村公園で休憩しながら横山さん夫妻のお話を伺った。横山さんは、ネギ農家になる前は大阪の銀行のコンピュータ部門に勤めていたという。表計算ソフトExcelなどが登場した頃に、あまりパソコン作業に慣れていなかったこともあり、銀行での仕事を辞めて大分に戻り農業を始めたらしい。銀行の仕事を辞めて農家になるという決断に至るまで迷わなかったのか尋ねたところ、迷う時間をつくらなかったのだとおっしゃっていた。まさに思い立ったが吉日ということだろう。

もちろん農業をやっていて大変なことは当然あり、銀行での仕事を辞めたことで収入は二分の一に減り、ひどい時には三分の一にまで減ったらしい。それでも農家をやめようと思ったことはないのかと尋ねると「(農業は)春の事は秋に考えないといけない。」と言われた。「やめたいと思っても先の事を考えないといけないので、気づいたら(やめないまま)二十年(経っていた)。」とのこと。また農業は天候など人の手ではどうにもならないことが当然あるが、しかしそれでも面白いことの方が多いと横山さんはおっしゃった。横山さんには本当に農家という職が合っていたのだろうなと感じた。
休憩後、調整作業をしていたハウスに戻り、調整作業の残りと出荷作業をやった。作業をしながら横山さんの奥さんが販促(販売促進)の話をしてくださった。東京にネギを持って行き、スーパーマーケットやデパートの地下などで行われている試食販売のようにお客さんにふるまい、食べてもらうらしいのだが、十年前に行ったときはお客さんの反応がすこぶる悪く、辛い思いをしたとおっしゃっていた。その時はネギをシーチキンとの和えもので出したのだが、シーチキンの販促だと思われたり、「え?ネギ?」と言われたりしたのだという。だがここ十年で東京での意識も変わったらしく、十年振りに東京へ販促に行ったらお客さんの反応も良く、「おいしいわよね。」と言ってくれるお客さんもいたらしい。私は農家の方の苦労といえば、農作物をつくる時のことばかり想像していたが、このような販促等でも苦労があるのだと驚いた。