リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2016.03.12
- 国東農業研修
2015年国東研修(17)広瀬水路
開削工事で最も難所と言われたのが、広瀬井出から少し下流に向け車を走らせたところにある「百重岩」だった。百重岩は落盤しやすい土質で、つい最近も落盤したばかりだそうだ。私達が訪れたときも、一部山肌がむき出しになりシャベルカーを使った山中の道路復旧工事が行われていた。『南一郎平の世界』によると、難所「百重岩」の工事は1751年開始の第1回目から行われていたが、当時は岸壁を掘り抜く技術がなく、1814年開始の第2回目の工事では薪や油を燃やしその熱で岩にひびを入れ、鑿で削っていくという方法を用いて8年がかりでようやくトンネルを百重岩に貫通させ、第5回目の工事ではそのトンネルの高さと幅が拡張されたのだという。
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平瀬水路の始まりである平瀬井堰。撮影日時: 2015:09:05 11:18:36 -
この場所から駅館側右岸台地へと用水を導く平瀬水路について語る松木さん。撮影日時: 2015:09:05 11:22:18
このトンネルは全長400メートルあり、トンネルを掘るときに出た「ズリ」と呼ばれる掘りくずをトンネル入口に戻らず途中で捨てられるように開けられた穴「ズリ捨て場」が今でも残っているのだそうだ。たしかに、百重岩の岸壁を見てみると途中にいくつか四角い穴が開いていた。また、現在の百重岩のトンネルは立って歩ける高さになっているが、南一郎平が工事した時は四つん這いになってやっと進めるくらいの高さだったそうだ
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平瀬水路トンネルが抜けている和尚山の岩壁を対岸から望む。撮影日時: 2015:09:05 11:37:12 -
平瀬水路トンネルの掘削ズリを出した穴が今も残る百重岩の岸壁。撮影日時: 2015:09:05 11:37:43