リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2016.03.10

  • 国東農業研修

2015年国東研修(13)田染のたんぼと文化財見学

研修四日目にして初めて晴れたこの日、木陰のない田んぼ道を歩き、初めて九州の太陽の強さを体感した。そしてゴールである雨引神社の鳥居に到達するとその木陰の涼しさに感動した。鳥居をくぐると櫻井さんはまず向かって左側の小さな社を指した。もともとの雨引社の祠(ほこら)であるのだという。明治34年にその祠より何倍も大きな社が築かれ、その手前には拝殿が築かれている。祠は田染石でできており、やわらかい石の性質を生かして細かい装飾が施されていた。鳥居横の説明書きには、この神社の前から湧き出る水がを利用して、このあたりの湿地から水田が始まったとされ、今でも水田の守り神として人々からの信仰を受けていると記されていた。あまり人が訪れていないだろう拝殿をこえた祠の前は、いっそう涼しい風が吹いていた気がした。

田染の人々は、「少ない水を賢く使う」。また、水だけではなく草や虫、時には神さまを通して人々とコミュニケーションをとりながら生きている。たくさんの知恵がぎっしり詰まったこの土地には有機的なつながりが張り巡らされているのだった。

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    田染の中を流れる田染川にいくつも築かれた堰の一つ、江戸時代後期に作られたまぶ井堰。高台の台園集落下をトンネルで抜け、向こう側へと用水を運ぶ。撮影日時: 2015:09:04 09:51:28
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    まぶ井堰からの水路がトンネルで抜けているマンホールを覗き込む。撮影日時: 2015:09:04 09:53:25
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    田越し灌漑のメカニズム。水を分ける升と水を仕切り分配する板である「からと」による水路システムの基本について櫻井さんから解説。撮影日時: 2015:09:04 10:02:29
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約700年前、正和二年(1313年)の鎮西下知状に記載されている尾崎屋敷はこの地である。撮影日時: 2015:09:04 11:21:52
延寿寺には、県指定有形文化財に指定されている延寿寺石殿がありました。この石殿には応仁二年に宇佐神宮の神官、宇佐栄忠が建立したことが書かれていて、建立者と建立年が明確に分かっている貴重な資料です。これは同時代に作られたものなのかどうか比較するのに大きな手掛かりとなります。この石殿には石を食べる苔が生えているそうで、解説してくださった大分県立先哲資料館学芸員の櫻井さんは、説明しながらその苔をむしっていました。私は、古いものに苔が生えていると情緒があって素敵だと感じてしまうのですが、実は苔は文化財の敵でした。大事な文化財なので大切に保存していかなければいけません。苔は思っていたよりもすごい力を持っているようです。
木造の倉庫のようなところに入っていくと、そこにはいくつかの木彫りの仏像や、石仏がありました。この建物のなかで、櫻井さんから二種類の木彫について伺いました。木彫には二種類あって、一木造りと寄木造りがあります。一木造りは、頭と胴が一つの木で作られているものを指し、頭と胴が一緒になっていれば、腕と脚が別でも一木造りです。寄木造りは各部位を別々に作り組み合わせたものです。
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    応仁二年(1468年)と築造年が明瞭に記載されている石殿を背に櫻井さんと河野了先生と記念撮影。撮影日時: 2015:09:04 11:19:39
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    櫻井さんと河野先生に導かれて、時の流れに溶けているかのような平安仏がいくつも収められている仮のお堂に入る。撮影日時: 2015:09:04 11:21:01
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    小さなお堂の中には時の流れに溶けてしまったような平安仏が安置してあった。足の切られた仏のおわします厨子の説明を受ける。撮影日時: 2015:09:04 11:26:22
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    河野了先生から宇佐神宮の書籍をいただき、翌日宇佐神宮を訪れた時には良い案内書となった。撮影日時: 2015:09:04 10:36:51