リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2012.12.01

  • 武蔵スポーツ見聞録

第2回 オリンピック初参加から100年

2012年も残りわずかとなりました。さて、2012年は、日本のスポーツ界においてメモリアルな年でありました。 それは、日本人がオリンピックに初めて出場してから100年目の年になります。 1912年、第5回オリンピック・ストックホルム大会に日本からは短距離走の三島彌彦選手(東大)と、マラソンの金栗四三選手(東京高等師範学校:現筑波大)の2名が出場しました。そして、団長は講道館柔道の創始者である嘉納治五郎氏でありました。嘉納氏は「日本の体育の父」とも称される方で、日本の体育・スポーツの普及および発展に尽力をつくした人物です。

 

5月16日に新橋駅を出発し、敦賀港からウラジオストクを経て、シベリア鉄道でサンクトペテルブルクを経由し、再び海を渡りストックホルムに到着したのは、6月2日だったそうです。今では考えられないほどの大移動です。 移動の疲れや、慣れない海外での試合の影響か、結果は三島選手が100m、200mで予選敗退、400mは準決勝を棄権、金栗選手がマラソンは途中棄権、10000mは棄権というものでした。

 

それから100年後、2012年ロンドンオリンピックにおける日本チームは様々な種目に出場し、金メダル7個、銀メダル14個、銅メダル17個の合計38個のメダルを獲得し、メダル獲得数は過去最高という 活躍を見せています。偉大な先人達が開いてくれたオリンピックへの道があってこそ、今の日本のスポーツ界がオリンピックを目指すことができます。これからの日本の更なる活躍に期待です。