リベラルアーツ&サイエンス教育ブログ

2011.05.10
- 武蔵スポーツ見聞録
人間・環境ゼミナール(上向貫志)その2
2.民族フットボール
この写真はフットボールの試合の写真です!?
左はキックオフ(スローイン)、右はまさにゲーム中です。これはイングランド、ダービー州のアッシュボーン(Ashbourne)で毎年開催される民族フットボールです。
現代のサッカーは、1863年にイングランドでFootball Association (FA)が設立され世界中に伝播されましたが、古代のフットボールはどうでしょうか。イタリアのカルチョ・ストリコ、中国の蹴鞠に代表されるように世界中でフットボールのルーツと考えられるものは数多く存在します。イングランドでも正式な記録が残るものとしては12世紀にまで遡ります。当時のフットボール は、現在のようにルールもなく、人数も決まっていなかったため、1つのボールを巡って人々が激しく争い、怪我人が出ることも珍しくなく、ときには命を落とす人が出るほどでした。治安維持という観点から政府や各都市の当局は頻繁にフットボール禁止令を出すことになります。多くの町や村で行われていたこの民族フットボールは、禁止令によりその数はどんどん減少していき、現在、当時の原型を維持して行われているのが上記のアッシュボーンです。町の中央を流れるヘ ンモア川を境にチームが分かれます。ゴールは町の両端の川岸に残る石で、その距離は5km。ルールは「殺さない、ボールを隠さない、教会に入らない」という3つのみです。
民族フットボールはキリスト教と深い関わりをもっていたようです。キリスト教における四旬節とは、キリストの受難と復活を迎える準備のための40日間とされており、灰の水曜日(Ash Wednesday)と呼ばれる日をもって始まります。この四旬節開始日の前日が告解の火曜日(Shrove Tuesday)であり、この2日間が試合日となるのです。なぜ告解の火曜日と灰の水曜日に開催されるようになったのか、なぜアッシュボーンだけ生き残っ たのか、興味は尽きません。
私も2007年2月に参加してきました。蛍の光(Auld Lang Syne)と英国歌(God Save the Queen)斉唱の後、ゲーム開始です。もちろんボールには一度も触れることはありませんでしたが、蛍の光が日本の歌ではなく、スコットランドの曲であることを老夫婦から教えてもらい、満足した1日でした。
左はキックオフ(スローイン)、右はまさにゲーム中です。これはイングランド、ダービー州のアッシュボーン(Ashbourne)で毎年開催される民族フットボールです。
現代のサッカーは、1863年にイングランドでFootball Association (FA)が設立され世界中に伝播されましたが、古代のフットボールはどうでしょうか。イタリアのカルチョ・ストリコ、中国の蹴鞠に代表されるように世界中でフットボールのルーツと考えられるものは数多く存在します。イングランドでも正式な記録が残るものとしては12世紀にまで遡ります。当時のフットボール は、現在のようにルールもなく、人数も決まっていなかったため、1つのボールを巡って人々が激しく争い、怪我人が出ることも珍しくなく、ときには命を落とす人が出るほどでした。治安維持という観点から政府や各都市の当局は頻繁にフットボール禁止令を出すことになります。多くの町や村で行われていたこの民族フットボールは、禁止令によりその数はどんどん減少していき、現在、当時の原型を維持して行われているのが上記のアッシュボーンです。町の中央を流れるヘ ンモア川を境にチームが分かれます。ゴールは町の両端の川岸に残る石で、その距離は5km。ルールは「殺さない、ボールを隠さない、教会に入らない」という3つのみです。
民族フットボールはキリスト教と深い関わりをもっていたようです。キリスト教における四旬節とは、キリストの受難と復活を迎える準備のための40日間とされており、灰の水曜日(Ash Wednesday)と呼ばれる日をもって始まります。この四旬節開始日の前日が告解の火曜日(Shrove Tuesday)であり、この2日間が試合日となるのです。なぜ告解の火曜日と灰の水曜日に開催されるようになったのか、なぜアッシュボーンだけ生き残っ たのか、興味は尽きません。
私も2007年2月に参加してきました。蛍の光(Auld Lang Syne)と英国歌(God Save the Queen)斉唱の後、ゲーム開始です。もちろんボールには一度も触れることはありませんでしたが、蛍の光が日本の歌ではなく、スコットランドの曲であることを老夫婦から教えてもらい、満足した1日でした。