人文学部ゼミブログ

2022.11.25

  • 人文学部
  • 日本・東アジア文化学科

西鶴を学び、西鶴に学ぶ

ブログ投稿者:日本・東アジア文化学科 助教 丹羽みさと

江戸時代の文学作品を取り上げる日本古典文学演習には、2年生から4年生までの約20名が参加しています。この時代の作家として最もよく知られている井原西鶴の作品の中から、各自が好きなものをひとつ選び、発表を行っています。レジュメには、作品の構成や内容の分析、単語の注釈などの基礎情報も書いてもらっていますが、中でも一番重要視しているのが、発表者自身で見つける「なぜ?」です。
その<疑問力>と<解決力>が、最終的には卒業論文へとつながっていくため、ゼミではレジュメの作成や質疑を通して、自問自答の力を蓄え、自身の興味や関心を自覚するように促しています。

ある日、井原西鶴の『日本永代蔵』巻三「国に移して風呂釜の大臣」についての発表がありました。
豊後府内(今の大分県)の男が、死んだ父親の遺言をきっかけに菜種油で財を成したので、母親を連れて京都見物に行ったところ、その魅力にとりつかれたため、何人もの美女を連れて帰り、自宅を豪華な京風に作り替え、京の水で風呂を沸かし、風呂釜の大臣と呼ばれるようになったが、終には破産し、命も失うこととなった、という話です。知らない人がほとんどでしょう。
発表者は、作品の面白さを理解するため、主人公のモデルや作品の構成などの基礎情報を集め、なぜ稼ぐ手段が菜種油だったのか、なぜ主人公が京に魅了されたのかなど、作中から自問自答を重ねてレジュメをまとめ上げました。参加していた他の受講者からも、京都から水を運ぶ方法や、モデルと主人公の関係について質問がありましたが、その中に、大分には別府や湯布院など、古くからの温泉があるのになぜ水を運んだのかというものがありました。その事実の指摘によって、京と豊後は単なる都と田舎の象徴というだけでなく、地元の温泉の魅力と価値を忘れ、都会に憧れ散財を重ねた主人公の愚かさをも強調しているのだ、ということが理解されました。
このように、ひとつの作品を大勢で読み込んでいくことで、作品読解の視野を広げることができます。ゼミでは、素朴な疑問を重ねていきましょう。