人文学部ゼミブログ

2021.11.25

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  • 日本・東アジア文化学科

ゼミで学問的発見を追体験

ブログ投稿者:日本・東アジア文化学科 教授 桃崎有一郎

『愚管抄』の講読から平治の乱の真相に迫る日本中世史演習

 

ゼミ(演習)は知的な、そして実践的な格闘訓練の場である。テーマや材料を決め、〈まだ誰も答えを出したことがない問題〉と、集中的に取っ組み合う。今年私が担当した日本中世史演習では、『男衾三郎絵詞』という絵巻物を隅々まで観察して、鎌倉時代の武士を取り巻く生活環境を復元してみた。また、日本古文書学演習では、源頼朝の文書を穴が空くほど観察し、一字一句の文言、字体や文字の配置、紙質や墨の色まで観察して、たった一通の文書からどこまで情報を引き出せるか、という限界に挑戦してみた。

 

  そこではすべての受講生が、自分の好奇心に忠実に、自由な発想で疑問や気づきを共有する。そして毎回、ひたすら頭脳をフル回転させて情報の抽出・分析を繰り返し、そのために必要な調べ物を自ら行っている。要するに、頭と手を動かす反復練習の訓練場である。

 

  実は、受講生が抱く素朴な疑問にこそ、学問の核心を衝く重要な論点が宿っている。〈誰も答えを出したことがない問題を解く〉作業とは、つまるところ〈誰も立てたことがない問いを立てる〉ことから始まるのであり、それこそが学問や事業を前進させる最大の原動力だ。

 

  そうした〝問いを立てる能力〟は、好奇心からのみ生まれる。つまり、大学のゼミの仕事は、受講生の好奇心に火をつけることだ、と私は理解している。そのたとえでいうと、武蔵大学の人文学部には好奇心の〝可燃性が高い〟学生が多い。そして、好奇心に着火する演習(ゼミ)も、普通よりかなり多い。数が多いので、準備が楽ではない反面、実験的な手法も試みやすいという利点がある。

 

  その一つとして私のゼミは、〝学問的発見の追体験〟を試みている。私が近々発表しようとしている、〈誰も真相を知らない歴史的事件の真相を突き止めた〉経緯を、ミステリー仕立てで受講者が追体験する演習だ。誰にも解けないとされた問題でも、切り口さえ変えれば、誰もが持っている材料から解けるので諦めないで欲しい、という願いを込めている。

 

  もちろん、演習なので、頭と手を休める暇はない。歴史学ではどのような材料を用い、どう分析し、どのように文献や先行研究を調べ、どう問いを立てて、どう解いてゆくか。私が材料に用いた歴史的文献(中世の日記や歴史書など)を受講生と毎週講読し、調査・分析の技法を具体的に紹介することで、訓練を重ねてゆく。そして、ゼミの最終回で、受講生には事件の真相が明かされる。今年の受講生たちは、世界で最初にそれを聞く。

 

  このようにして、生煮えでもホットな学問の最前線に触れてもらい、私たち研究者の熱量に触れてもらう。その過程でだいたい、受講生の側でも好奇心が発火し、疑問や情報を私にぶつけてくる。

 

  この形が、私に与えてくれるものも多い。一年生のゼミでは、受講生たちとの議論がヒントとなって、邪馬台国の所在地問題に決着をつけられそうな材料を閃いた。繰り返すが、一年生のゼミである。私はまだ着任して日が浅いが、どうやら武蔵大学の人文学部のゼミでは給料以上に得られるものが多そうだと日々感じており、今後が楽しみで仕方ない。