人文学部ゼミブログ

2014.07.07

  • 人文学部
  • 日本・東アジア文化学科

中国の民族と社会

ブログ投稿者:日本・東アジア文化学科 教授 西澤治彦

私が担当している「中国の民族と社会」の演習では、毎年、前期において、古典的な著書を参加者全員で輪読することにしている。分担する章を決め、ポイントを整理したレジメをもとに発表してもらい、その後、皆でディスカッションするという手順となっている。これを通じて、レジメの作り方、人前で発表することや、自分の意見を述べる練習を積むことができるが、最大の狙いは、本の批判的な読み方を学ぶことにある。
マルコ・ポーロと『東方見聞録』
マルコ・ポーロと『東方見聞録』
昨年度は、マルコ・ポーロの『東方見聞録』(岩波書店)と、費孝通の『郷土中国』(学習院大学東洋文化研究所)の2冊を読んだ。後者は現代中国の動向と照らし合わせて読むと、根源的な問題提起をしており、読み応えがあったが、ここでは前者について述べたい。『東方見聞録』の名を知らない人はいないだろうが、ちゃんと読んでいる人は意外と少ないのではないだろうか。かくいう私も、邦訳を持ってはいたが、精読したのは今回が初めてだった。原著には複数の版があり、邦訳も複数あるが、このたび、より原著に近いとされる中世フランス語からの新訳が刊行されたということで、改めてこの古典的名著を読んでみることにした。
毎週、ポーロのたどったルートを地図上でプロットしながら、旅の追体験をしていったわけだが、このように精読してみると、やや拍子抜けの感は否めなかった。中国までの旅はまだいいとしても、元朝下の中国本土での旅の記述にリアリティーが感じられないのだ。輪読した学生諸君も、高校の世界史で習った『東方見聞録』って、実はこういう内容の本だったんだ、と意外な印象を持ったようだった。

 

実際、研究者の間でも、マルコ・ポーロは本当に中国に行ったのか、という疑問が出されてはきた。フランシス・ウッドが『マルコ・ポーロは本当に中国に行ったのか』(草思社)という本の中で展開している主張を演習で紹介すると、ほとんどの学生が、やはりマルコ・ポーロは中国には行っていないのではないか、という意見に傾いた。これは本書を読む前には、想像もつかなかったことだった。しかし、これこそが、古典といわれる本を精読し、批判的に読むことのよい見本であり、その意味では、演習の目論みは見事に達成された、ということになる。