人文学部ゼミブログ

2014.05.03

  • 人文学部
  • ヨーロッパ文化学科

中世ドイツの日常を探る

ブログ投稿者:ヨーロッパ文化学科 教授 新田春夫

今日のドイツ語にはたくさんの慣用表現があります。たとえば、Pech habenは「不運な目に会う」ということを意味します。しかし、単語の意味は、Pechは「コールタール、ピッチ」で、habenは「持っている、もらう」という意味です。単語の意味だけではなぜ「不運な目に会う」という意味になるのかわかりません。その疑問を解くには歴史を遡って、この表現が生まれた中世ドイツの社会生活を勉強する必要があります。その答えはこうです:中世では鳥を捕まえる手段として、竿などにねばねばしたコールタールを塗って、それによって鳥を絡め取ることが行われていました。そうやって捕えられた鳥はPechvogel「コールタール(で絡め取られた)鳥」と言い、それが「運の悪い奴」という意味になりました。また、Pech「コールタール」も「不運、災難」を意味するようになりました。
  • 中世ドイツの帝国自由都市ネルトリンゲン
    中世ドイツの帝国自由都市ネルトリンゲン
  • 鳥刺し
    鳥刺し
曝し台上の追い剥ぎジョン・ウォラー
曝し台上の追い剥ぎジョン・ウォラー
また、中世では刑罰として、罪人に首縄や手枷、足枷を付け、胸には罪状を記した札を下げさせるなどして、都市の中心部の広場に設置された柱や台につないで曝し者にしました。このような柱や台のことをPranger「曝し柱(台)」と言います。そこで、an den Pranger stellenという表現は「(人を)曝し柱(台)に括り付ける」という意味になります。

こうなると罪人は見物に集まって来た大勢の人から罵声を浴びせられ、侮辱され、また、唾を吐きかけられ、石を投げつけられる、などを覚悟しなくてはなりません。

写本「愛の歌集」の中の挿絵。1300年頃に成立。ハイデルベルク大学蔵
写本「愛の歌集」の中の挿絵。1300年頃に成立。ハイデルベルク大学蔵
こうした刑罰はドイツに限らず、ヨーロッパでは近代まで行われていました。上の絵は1732年にイギリスのジョン・ウォラーという路上強盗の男が曝し者になっているところです。実際、彼は民衆からものを投げつけられて、挙げ句の果てに殺されてしまいました。

しかしその後、an den Pranger stellen「(人を)曝し柱(台)に括り付ける」という表現は一般化されて、今日ではもっぱら「(人を)公衆の面前で批判したり、侮辱したりする」ことを意味するようになりました。

 

最後に、einen Korb gebenは「(女性が男性に)肘鉄砲を食らわす」という意味の表現です。これは本来、「(一個の)籠 (Korb)を渡す (geben)」という意味です。どうしてこのように意味が変わっていったのか?それは、中世では次のような習慣があったからです。

男性は思いを寄せる女性ができると、その人の部屋の窓の下に立って、その女性を讃える歌を歌うなどして、その人の気を惹こうとしました。そうした曲がセレナードと言われるものです。他方、女性は、もしその男性が気に入ると、階上から籠を降ろして男性を引っ張り上げます。その様子を描いたものが下の中世の絵です。

しかし、女性は気にいらない人には簡単に底が抜ける籠を降ろしてやるのです。そうするとその男性はあえなく落ちてしまい、女性のもとにたどり着くことはできません。このようなことから、女性が男性の思慕を拒否することをeinen Korb geben「(底が抜ける)籠を降ろしてやる」と言うわけです。また、Korb「籠」も「肘鉄砲」という意味を持つようになりました。しかし、このようなことはロマンチックな文学的フィクション(トポス)だと思われ、実際に行われたかどうか確かではありません。

 

外国語を習得するには単語だけでなく、熟語、慣用句を覚えることがキーポイントです。私のゼミでは、以上のように、現代ドイツ語の慣用表現を学びながら、それだけでなく、それらが生まれてきた中世社会のドイツ人の日常生活を探ることをしています。