人文学部ゼミブログ

2012.03.30

  • 人文学部
  • 英語英米文化学科

比較文学ゼミナール2(波多野直人)

地下生活者の手記をめぐる文学
 
同ゼミの1では後藤明生の『挟み撃ち』を原文と英訳をおりまぜながら読み、同時に、彼のこの作品に影響を与えたゴーゴリの「外套」を日本語訳と英訳をおりまぜながら読み、ドストエフスキーをして「われわれはみな「外套」から生まれた」と言わしめた意味を考えてみました。2では引き続き後藤明生の代表作『壁の中』を、これに影響を与えたドストエフスキーの『地下生活者の手記』と比較しながらそれぞれのさわりを、この場合、前者は英訳が無いので原文で、後者は日本語訳と英訳で、読みました。
 
このゼミは全体として日露比較文学ゼミのような印象を与えるかもしれませんが、英訳がある作品は英訳で読むというのは英語圏の読者の目に立とうという姿勢ですし、ロシア文学のなかでもプーシキン、ゴーゴリ、 ツルゲーネフ、ドストエフスキー、トルストイはその影響力からいえば、まさに世界文学というべき存在であり、且つ、後藤明生は一部に熱狂的なフアンをもつ日本文学の隠れた至宝であるという意味で、これらを総合的に扱うのは、少々大袈裟かもしれませんが、人間の普遍的な思惟にふれようとする勇図に他なりません。
 
前期はゴーゴリの「外套」から読みとれる「笑うものは同時に笑われる」というテーマが中心になりましたが、後期もこの変形である、後藤明生の「楕円の思想」を問題にしました。楕円に中心が二つあるように、我々は常に世界を複眼に添って見ることが必要ですし、このような意識は比較文学・ 思想においても不可欠です。そしてこの二つの中心は後藤明生の作品世界で明らかにされるように、分断されているようにみえて実は不可思議な形で繋がっているのです。
 
ドストエフスキー『地下生活者の手記』は、ジードが言うように、ドストエフスキーのその後の作品を読み解く鍵となる作品です。 時間の関係で十分に扱えませんでしたが、アメリカにおける「地下生活者」の変形あるいはパロディーとしてRalph Ellison, The Invisible Man や、Woody Allen, Notes from the Overfed (『肥満者の手記』)があげられます。しかしながら比較文学の本当の面白さはゼミ参加者各々が比較文学の対象となりうる作品を探し当てるところにあるのではないでしようか。