人文学部ゼミブログ

2012.01.23

  • 人文学部
  • 日本・東アジア文化学科

中国思想史演習(水口拓寿)

中国思想史演習(水口拓寿)
孔子が川の流れを見下ろして「逝く者は斯くの如きか」(『論語』子罕第九)と言ったとされる場所に立つ。2011年9月、中国山東省曲阜市内の尼山にて。
現代日本に生きる我々とも深い縁で結ばれた、隣国の思想伝統を扱うゼミナールです。今年度は、儒教の開祖とされる孔子(姓名は孔丘、前552 or 551~前479)やその弟子たちの言行録である『論語』を、履修者の皆さんと共に読み、その内容について討論を重ねました。中国や日本を含めた東アジアの思想世界だけでなく、東アジア社会における制度や慣習の過去・現在・未来を考えるためにも、儒教思想に関する理解は不可欠であり、そして儒教思想について理解するためには、『論語』を手に取らずに済まされないと言えます。私は今年度に武蔵大学に着任したばかりで、このゼミナールを担当するのも初めてなのですが、一年目の教材として迷わず『論語』を選んだのは、そうした理由に拠ります。
 
輪読の作業に当たっては、中国の何晏(生年未 詳~249)・朱子(姓名は朱熹、1130~1200)、日本の伊藤仁斎(1627~1705)・荻生徂徠(1666~1728)などによる注釈を、積極 的に参照してもらうようにしました。それらは即ち、『論語』と格闘した歴代の碩学たちが「私は『論語』のここを、このように解釈する」と表明した文であるわけですが、それらは読みのための補助線や選択肢を我々に教えてくれる、強い味方であるに止まりません。様々な時代や学派を生きた人々が注釈の筆を通し て、実に多種多彩な『論語』像や孔子像・儒教像を描いてみせたことに気付く時、彼らが織り成した『論語』解釈の系譜は、それ自体が一つの「思想史」と呼び得る流れとして、我々の前に立ち現れるのです。
 
今年度のゼミナールを終えて、履修者の皆さんの感触は「『論語』が少しは分かった」という方に傾いているでしょうか。或いは「『論語』は分からない書物だ」という方に傾いているのでしょうか。それはともかく、私個人は「また一つ「『論語』が分 からなくなった」というのが、この一年を振り返っての正直な告白です。厳密に言えば、このゼミナールの経験や、準備のための勉強を経て、『論語』について 「分かった」と思える部分も幾らか増えた一方で、実はそれに百倍、千倍する「分からない」部分が、自分の行く手に広がっていることを認識させられました。 いや、「分かった」部分だと思った所ですら、本当は「分かったつもり」の陥穽に捕われたに過ぎない可能性もありますから、もとより差し引きや比率の勘定な ど無用なのかもしれませんが……。