人文学部ゼミブログ

2011.11.05

  • 人文学部
  • ヨーロッパ文化学科

ドイツ文学演習2(光野 正幸)

グスタフ・マーラー(Gustav Mahler, 1860-1911)は、ある音楽辞典によれば「明快な抒情性のなかに深い思索的内容を秘めた傑作」ばかりを後世に遺した、ユダヤ系の作曲家です。今年ちょうど「没後100年」を迎えた(ついでに言えば、昨年は「生誕150年」という記念の年だったことになります)この作曲家を、後期の演習では採りあげ ています。
 
<「文学演習」なのに何故、作曲家を?>と首をかしげる向きもあるかもしれませんが、十九世紀のドイツは音楽と文学が最も接近 し、音楽史と文学史が交錯してヨーロッパ文化史の重要な文脈を形成した時代であり、そのことは、シラーの詩を歌詞に用いたベートーヴェンの「第九」交響曲 や、シューベルト、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームスなどによって発展した「ドイツ・リート(歌曲)」、また神話や中世叙事詩の世界を壮大な規模で舞台化したヴァーグナーのオペラ・楽劇などを想い起こせば明らかです。この流れは二十世紀に入っても、とりわけ当代随一の詩人ホフマンスタールを台本作者に迎え、他に例を見ないほど密度の濃い共同作業によって「バラの騎士」や「影のない女」などの優れた舞台作品を世に送った作曲家リヒャルト・シュトラウスによって受け継がれていくのですが、マーラーはその一歩手前、世紀転換期のウィーンで、宮廷歌劇場の指揮者として名声を博し、私生活では幸福と絶望のめまぐるしい急転換に翻弄されながら、主として夏季休暇を作曲活動にあて、いくつもの長大な交響曲を完成させたのでした。
 
演習では、まずイントロダクションとして、映像資料を用いてマーラーの生涯と主要作品を概観しながら、彼の生きた時代の空気を嗅ぎとってもらうとともに、さらに現在欧米の 楽壇で活躍している第一線の指揮者たちがマーラーの作品について語る資料も参考にして、現代につながる西洋音楽史上のマーラーの意義を考えてもらいまし た。そのうえで目下、履修者の一人ひとりが作品をひとつ択び、その作品の成立事情や内容を調べ、歌詞として使用された詩を紹介し解釈する、という分担発表の段階に移っています。
 
マーラーが作曲した交響曲のなかには、もちろん声楽つきでないものもあるのですが、今回は必ず声楽つきのもの、つまり「文学テクスト」としての詩が扱われている作品を択んでもらうことにしました。分担発表の対象となる作品を列挙すれば、次のとおり(カッコの中は初演年と、歌詞の出典)。
 
*交響曲第2番「復活」
(1895、クロップシュトック/「少年の魔法の角笛」)
*交響曲第3番  (1896/1902、ニーチェ/「少年の魔法の角笛」)
*交響曲第4番  (1901、「少年の魔法の角笛」)
*交響曲第8番  (1910、ゲーテ)
*「嘆きの歌」  (1901、グリム童話によりマーラー自身が作詞)
*「さすらう若人の歌」(1896、マーラー自身が作詞)     
*「亡き子をしのぶ歌」(1905、リュッケルト)
*「大地の歌」  (1911、李白, 孟浩然ほか)
 
十八世紀のクロップシュトックからマーラーと同時代の人と言ってよいニーチェまで、またグリム童話から漢詩(もちろんドイツ語訳です)まで、いろいろな素材が採りあげられています。これらの文学的素材が、何か共通の雰囲気とか傾向といったものを持っているのか、あるいは逆に表現の多様性を保障しているのか、 という点に興味が湧きますが、その判断は履修者のみなさんの分担発表がすべて済むまで保留、ということにしておきましょう。