人文学部ゼミブログ

2011.05.30

  • 人文学部
  • 日本・東アジア文化学科

中国史演習(黒岩 高)その2

(前回の続き)
さて、上記は指導教員のスペックを学生がうまく使ってくれた例である。しかし、通常、学生のニーズは多岐にわたるのに対し、教員側の資質は限られており、特に私が目端の効くタイプではないこともあって、こうはいかない。
 
とはいえ、こちらにも実社会でも役に立つはずだと考えており、学生に伝えたいと思っているものは、ささやかながらもありはするので、何とか伝えようとはするのだが、実感を持たせることが難しい。
 
着任してからの数年は、面談や授業の他、ゼミコンパやゼミ旅行・合宿などのレクリエーションの機会を利用して、おぼつかなくはあるものの、「伝えたいもの」・「伝えられたいもの」、「伝え方」・「伝わり方」の調整を試みてきた。
 
と ころが、どうもこの1、2年、行政・事務が多い環境にあったということもあり、それも出来ていなかったフシがある。何より、学生を「一個の人格」として理解しようとする心の余裕がない——むろん、頑張ったところで、理解はごく一部に止まるのだが。余裕のなさに気がついたのは、自分が「あることをしていなかった」ことに思い当たったからである。それは「お茶出し」である。
 
ちょっとした古典芸能の師匠の家庭に育ち、「レッスン生が来る→鬼の 形相の両親が指導する→紅茶とお菓子でおしゃべりをする」のルーティンが通常であったため、20分以上話をする必要のある学生には、お茶を出さずにはいら れない性分のはずである。もちろん、時間に余裕があるか、お茶を出されても迷惑がられないかは、一応それとなく探る。
 
それが、昨年度の卒論指導を終えた後、台湾から平行輸入した「阿里山烏龍熟茶」が、北京で買った「武夷岩茶」が、ことごとく干からびているのを見て愕然とした。頭脳を複数方面に高速回転させることで「いいこと」を思いつくように私はできていない。むしろ呆然と時間をかけて思惟をめぐらせる中で、何かに思い当たる性質である。 「本当に申し訳ないことをしたなぁ~。余裕がなくてすみません。みんな居心地悪かっただろうな」と改めて感じた。
 
とりあえず、3月の出張の際に、広州で岩茶の最高峰「大紅袍」を、小遣い銭をはたいて購入し、気がついた時に、時間に余裕のある学生にはふるまうようにしている。