人文学部ゼミブログ

2011.03.14

  • 人文学部
  • 英語英米文化学科

英語圈の思想演習(山崎光治)

学生「先生、来年度はいないんですって。またイギリスにでも行くのですか。」
 
先生「特別研究員で1年お休みで、基本的には日本にいて時々イギリスやアメリカに行くつもりなんだ。」
 
学生「うらやましいな。」
 
先生「申し訳ないな。君たちは就活で忙しくて大変だもんな。でも、その分しっかり研究して、もっとおもしろい授業にするよ。」
 
学生「どんな授業を考えているんですか?」
 
先生「最近、岩波文庫でジョン・ロックの『統治二論』の完訳が出たので、訳を参考にしながら王権神授説を批判した「第一論文」を原文で読もうと思っているんだ。」
 
学生「ちょっとむずかしそうだな。」
英語圈の思想演習(山崎光治)
(写真)クライスト・チャーチ(左)とロックの肖像画(右)(筆者撮影)
先 生「本文は難しいさ。まず、易しいところから説明しよう。ロックはオックスフォード大学のクライスト・チャーチというカレッジを卒業しているんだ。このカレッジは歴代の首相をたくさん出しているオックスフオード大学の中でも最も有力なカレッジの1つなんだ。ダイニングホールには、このカレッジ出身の有名人の肖像画がずらりと並んでいてね。ロックの肖像画はその中でもかなり立派なものだったな。
ついでだけど、カレッジのダイニングホールを訪ねる機会があったら、先生が食べるところは学生が食べるところよりも少し高くなっていることに気づいてほしいんだ。少し高くなっているからハイテーブルって言うんだ。覚えておいてね。」
 
学生「はい、食べるところですね。」
 
(傍白)「ハイテーブル」と「はい、食べる(ところですね)」と語呂をあわせたつもりだけど気づいてくれたかな。こういう駄じゃれとか語呂合わせは時々言うようにしている。この一年で一番受けたのにこういうのがあった。私の演習にでているラグビー部のいかつい学生が、私の講義にでている女子学生に話しかけてい た。そこでその女子学生に「どうして彼を知っているの」ときくと、「部活です」という答えが返ってきたので、「それは〈うかつ〉でした」と答えたんだ。彼 女も回りの学生も駄じゃれに気づいて笑ってくれた。
 
先生「また話を元にもどすけど、王権神授説というのは神様がアダムに与えた自然界を支 配する権利が当時の国王にまでつながっているという考えだ。この考えを理解するには『聖書』の知識が要求される。この機会に、みんなに『聖書』の知識を身 につけてもらおうと思っているんだ。またついでに言っておくけど、ロックが引用している『聖書』は『欽定訳聖書』King James Versionなんだね。」
 
学生「波多野先生がよく学生にKing James Version を読ませているって聞いています。」
 
先生「波多野先生は文学が専門で、King James Version は文学には大きな影響を与えているからね。だから英米の文学を理解するには、『欽定訳聖書』の文章を覚えておくことがとても重要なんだ。
ところで近代の英語が形成されるにあたって、シェイクスピアとこの『欽定訳聖書』が大きな役割をはたしたということは、英語史において重要なことだから、 知ってるよね。『欽定訳聖書』は1611年で、シェイクスピアが四大悲劇など主要な作品を書いたのは1600年以降でほぼ同じ時期なんだ。シェイクスピア の年代については、生まれたのはシェイクスピアは偉大なので「以後無視」で1564年、死んだ年は「いろいろ」説があるということで1616年と覚えさせられたんだよ。」
 
学生「シェイクスピアの年代、もう覚えましたよ。」
 
先生「そりやよかった。またついでだけど、シェイクスピアが使用した『聖書』は何か、知ってるかい?」
 
学生「分かりません。」
 
先 生「シェイクスピアが愛用した『聖書』は『ジュネーブ聖書』といって、ジュネーブに亡命したピューリタンが翻訳したものなんだ。小型で使い易く人気があっ たんだけど、『欽定訳聖書』と競争になり、最終的に『欽定訳聖書』が勝利して、文字通り〈権威ある版〉ということでAuthorized Version と呼ばれるようになったんだ。「英訳聖書入門」という授業があるから、そちらの方にも出てくれるといいんだけどね。」

学生「わかりました。いろいろ関連づけて勉強しなくてはいけないということですね。」
英語圈の思想演習(山崎光治)
先生「そうだよ。英訳聖書の背景には宗教改革があるというのは知っているだろう。聖書は、旧約聖書がヘブライ語、新約聖書がギリシア語で書かれているよね。 カトリックではラテン語の聖書が使われていたんだけど、信仰を重視するプロテスタントは神の言葉を直接理解しようと自分たちの国語に翻訳し始めた。ルターのドイツ語訳にならって英訳がおこなわれるようになったというわけだ。
ところで、イギリスの宗教改革はヘンリー8世によって政治的意図のもとにおこなわれた。その結果、イギリス国教会は教理や儀式においてカトリック的なものを多く残すことになった。そこで、そうしたプロテスタントとしては中途半 端な状態を純粋なものにしようとする人々が出てくる。それがピューリタンだ。ところが、ピューリタン革命ではピューリタン的なものが極端にまで行き過ぎ、 王政に復帰することになった。しかし、カトリックには戻らず、またピューリタン的厳格さを緩和させつつイギリス独自の道が探られることになった。この方向 が確定したのが名誉革命といえる。近代イギリスの歴史を理解するには、このヘンリー8世から名誉革命までの歴史が決定的に重要なんだ。〈イギリス的なも の〉が形づくられたのは、まさにこの時期だからね。
ロックの『統治二論』が出版されたのは、名誉革命の2年後の1690年だ。この本を読むことの重要性は言わなくてもわかってくれるよね。」
 
学生「奥が深いですね。ぜひこの演習をとってみたいな。」
 
先生「そう言ってくれるとうれしいよ。でも、君はもう卒業じゃなかったっけ。」