人文学部ゼミブログ

2011.02.16

  • 人文学部
  • ヨーロッパ文化学科

現代ヨーロッパ論演習(小森謙一郎)

「現代」はいつはじまるのでしょうか?
 
単純なようですが実は難しい問いです。私たちが「古代」や「中世」として考えている時代に生きた人々にとっては、まさにその古代や中世が「現代」であったわけですから、ここには絶対的な基準はないことになります。
 
だとしたら、私たちが私たちの生きている時代を「現代」としてイメージするとき、その時代イメージはどれくらいまでさかのぼるのでしょうか?
 
も ちろん、個人差はあります。とくにヨーロッパのことを考えるとき、今日ではEUというものがあり、旅行してみればすぐわかることですが、EU内部での移動 であれば国境を超えるときも基本的にパスポートを提示する必要はなく、また通貨もユーロをそのまま使用することができます。そしてこうした状態はここ10〜20年くらいのあいだに整備されてきたものであり、同時にこの間インターネットに代表される技術革命が着々と進行してきたことを考えれば、「現代」とみなされる時代がまさに学生のみなさんが生まれた年あたりからはじまるようになる日も、そう遠くはないかもしれません。
 
とはいえ、今のところはまだ、「現代」はもう少し前からはじまると一般的に考えられています。
その理由は、ここ数十年間のさまざまな政治的・社会的変化にもかかわらず、それ以前のある時代イメージがまだ塗り替えられていないからで、払拭しがたいそのイメージは依然として私たちの生に影を落としています。というより、それは影そのもの、巨大な闇の黒いイメージであり、今日みられるさまざまな明るい兆候も、そのような闇の黒を消し去るには至っていないのです。
 
残念ながら、と付け加えるべきでしょうか?
 
意外にそうでもないかもしれない、というのが2010年度のゼミを終えた後の感想です。一年を通じて主として3年生のみなさんに取り組んでもらったのは、そうした影に気づかないふりをすることなしに、闇そのものを正面から見据えることでした。そして、そこから出てきたレポートのなかに、「民主主義とは何か」「ホロコースト否定論者とどう戦うか」といったタイトルがみられたのは、明らかにひとつの進歩であると思いました。しかも、どちらかと言えばおとなしかった方々(←あくま でゼミのなかでの印象です!)から、そうした問題意識が出てきたのは明るい進歩であり、ささやかながらもこれからの未来にとって重要な一歩であると言えるでしょう。
 
「人間の歴史は悪からはじまる」。ゼミでも何度か言及した哲学者のカントはそう言っておりますが、この意味では「現代」を覆う 黒いイメージもまた、私たちがそれと取り組むべくあるのかもしれません。いずれにしても、光は闇のあとにしかないのだとすれば、自分たちの影がふたたび闇 と化すことのないように、ゆっくりでも一歩づつ足を運ぶしかないでしょう。しかし、まさにその遅々とした一歩一歩の足跡だけが、たしかな未来をつくれるはずです(とカントなら言うでしょう)。
 
そういうわけで、私としては成績云々ということよりも(←それはそれで大切ではありますが!)、ゼミを終えた後のみなさんの歩みに期待しておりますので、通常なら写真があってもおかしくはないこの記事の余白を、みなさん自身の未来イメージで補ってもらえればと思います。