人文学部ゼミブログ

2008.04.23

  • 人文学部
  • 日本・東アジア文化学科

朝鮮文化演習1・2 (渡辺直紀)

2007年度の「朝鮮文化演習1・2」の受講生は女子学生ばかりが7名(3年生5名、2年生2名)とかなりアットホームな雰囲気で進められた。韓国・朝鮮に関する何でもゼミと銘打ってあるだけあって、受講生の関心は近世史から韓流ドラマとかなり多様だ。中には中国に対する自らの関心の幅を広げるために受講するという学生もいた。
 
年間を通じて学生に課した課題は大きく分けて2つ。その第一は、韓国・朝鮮学に関する基本書の要約・報告を分担して行うことだったが、受講生が少なく順番がほぼ毎週のように回ってくるにもかかわらず、出席者たちは毎週きちんとそれをこなしてきた。第二の課題は学 年末レポートで、韓国・朝鮮にかかわるテーマを自由に設定して、それについて論じるというものだったが、今年のゼミで私にとってもかなり収穫だったのがこのレポートだった。
 
テーマ設定、仮目次・参考文献リストの作成までは、インターネットの世の中、最近の学生にはかなりお手のものだったようで、要領さえ教えればかなりスムーズにやってくれた。問題はそれからだった。私は学生たちにノートの代わりにカードを取らせたが、これが学生にはかなり億劫だったようだ。最近は掲示板の案内も携帯電話に親指で入力したり、あるいは写真でまるごと写したりしている学生たちのことだから、紙にペンで何かを書きつけるという作業自体がかなり負担だったのだろう。
 
私は大きく分けて2種類のカードを取るように要求した。文献を読みながら引用したいと思ったところを抜粋したカードと(文献の書誌と頁数も必ず書き入れさせる)、抜粋したりカードを並べたりしながら思いついたことを書くカードの2種類を書き付けながら、いれかえさしかえ並び替えていき、最終的に有機的につながった50枚以上のカードを取らせた。
 
その間、私がしたことといえば、学生が行なう中間報告にコメントしながらカード検査をしただけだったが、12月の上旬にカード取りをやめさせて、それを文章化してくるように指示を出した途端に受講生からメールで反響が来た。「先生、面白いです」「こんなに自分がレポートをすらすら書けるなんて思いませんでした」——そして翌年1月末の締切の時に、学生たちはA4で平均20ページほどの最終レポートを持ってきたのである。ちなみにA4×20ページというのは学科が課している卒業論文の分量(400字×100枚程度)の半分をゆうに超える数字である。
 
毎年、4年生の卒業論文を審査しながら思うのは、論文作成の ためにノートをあまり作成していないのではないかと思われる学生がかなりいることである。個別に確かめているわけではないが、書いた文章を読めばすぐに分かる。大学のPC室などをちらっとのぞいても、PCのモニターの横に本をどっさりと積んで、それをペラペラとめくりながらなにがしかを入力している学生がかなりいる。そのような書き方では論文やレポートは書けない。論文執筆を職業としている大学教員でも、数枚のエッセイならまだしも、論文をそのように書いていたらすぐ胃に穴が開くだろう。そのような書き方では、ペラペラとめくった順にしか実質的な内容は入力できないし、一度入力した内容をPC上で換骨奪胎 させるのはかなり至難の業だからだ。
 
ペラペラと本をながめることとPCへの入力作業の間に、どうしてもノート(カード)作成が必要だ。 いれかえさしかえの作業はPCの画面上よりも机の上の方が格別に早い。今回の私の演習の受講生には、そのカード取りの妙味を分かってもらえたかと思う。最 終レポートの出来不出来は別として、このように長い文章を書くときのテーマ設定の仕方や掘り下げ方の程度もわかってもらえたのではないだろうか。本当はこのような経験をできるだけ早い学年のうちにしてもらいたいのだが……。
 
最後に、今回提出されたレポートのタイトルをここで紹介しておく。「自分にもそのような長いレポートや論文が書けるだろうか?」——そのように不安に思っている人は、一度ぜひ私の演習(「朝鮮文化演習」と「朝鮮文学演習」を隔年開講)をのぞきに来てもらいたい。
「朝鮮通信使について」
「『冬のソナタ』と韓流」
「学校教育における日本軍「従軍慰安婦」問題の教案化試案」
「現代韓国における徴兵制のあり方」
「林権澤監督の映画観」
「茶が飲まれる空間」
「秋夕」