最後まで諦めない、
夢のアナウンサーへ

社会学部 メディア社会学科
今西広陽
2021年4月入学

#社会学部 #進路・就職 #卒業生

卒業後はテレビ局でアナウンサーとして働かれる予定と聞きました。アナウンサーを目指そうと思ったきっかけを教えてください。

小学校5年生頃から、自分の長所であるハキハキした大きな声をいかし、当時続けていた大好きな野球を実況できるという理由で、なんとなくアナウンサーを志していました。すると中学生の頃にテレビ局の出前授業、高校生の頃には総合学習の関係で現役のアナウンサーにお会いする機会がありました。その方々の立ち振る舞い、言葉の美しさ、存在感に強い憧れを持ち、なんとなくやってみたいという夢が、絶対にアナウンサーになるという目標に変わりました。

アナウンサーを目指して、大学時代はどのように過ごされましたか?

2年次からアナウンススクールに通い、現役アナウンサーの方々から、発声・発音、ニュース原稿読み、フリートークなどを指導していただきました。毎回の授業が非常に充実しており、授業中とっていたノートは5冊目になりました。また同じ目標を志す仲間がいることで、負けたくないという競争心が芽生え、高いモチベーションでスクールに通うことができました。
大学では放送会に所属し、東京都東久留米市のコミュニティFM「TOKYO854 くるめラ」でラジオパーソナリティを務めています。そこで物事を具体的に話すことやリスナーの聴き方を意識することなどを学びました。学生時代からメディアで自分の声を発信することができたのは、私の財産です。

他にも、学生時代の思い出を教えてください。

大学では野球ではなく、サイクリング部に所属し、部長を務めました。サイクリング部は自転車で全国を旅する活動をしていて、北海道・東北・九州を20日間ずつ周りました。旅先では現地の方々と話す機会が多かったです。その際、まず自分の心を開いて、相手にも心を開いていただくことを意識しました。そのおかげですぐに打ち解けることができ、応援のお言葉や差し入れをいただくこともありました。
その経験をいかし、私は地方局の面接がある際は、必ず前日に現地に前乗りし、「県民インタビュー」というのを行っていました。なぜなら私はその県に縁もゆかりもないため、県のことをもっと知りたい、そして県民の生の声を聞きたいと思ったからです。おかげで、その県のいいところや、もっとこうした方がいいという改善点を知ることができました。県民インタビューを行ったことを翌日の面接でアピールすると、面接官との会話が弾み、手ごたえも感じられるようになりました。

どんなアナウンサーになりたいですか?

私はテレビ朝日の清水俊輔アナを最も尊敬し、目指しています。清水アナは報道・スポーツ・バラエティすべての分野で活躍されていて、テレビ局側からの信頼感も厚く、視聴者からも信頼されています。私もすべての分野で仕事ができるようになりたいため、まず一緒に働く仲間たちの信頼を得ることを大切にしていきたいです。
いずれは、野球の実況にもチャレンジしたいですね。私が就職する局では高校野球の実況ができるため、私の声と言葉で少しでも高校野球の発展、スポーツの力による地方の活性化を実現していきたいです。また、実家の畑で野菜を育てているので、農家の方への取材もしてみたいです。

将来の夢をかなえたい、目指したい進路がある、という方へ、メッセージをお願いします!

私の就職活動は長期戦でした。別業種への入社も考えましたが、俳優やミュージシャン、芸人さんなど、長年夢のために苦労している方々もいることを知り、1年の遅れくらいどうってことないと思い、就職浪人も考えました。そんな時受けたテレビ局に採用をいただきました。よく聞く言葉かもしれませんが、「最後まで諦めないこと」の重要性を非常に感じました。アナウンサー就活の途中で諦めてしまう友人もたくさんいましたが、それでも自分の決めた目標、夢を諦めませんでした。自分のなりたいものになる、言葉では簡単そうではありますが、実際には難しいものです。大切なのはそのために、正しい努力をすることです。なりたいと思うのは誰でもできます。行動に移せる人はごくわずかです。可能性は誰にでもあります。学生の楽しさを謳歌しながらも、なりたいものになるために諦めない!行動しよう!