社会学部ゼミブログ

2026.03.09

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この時代にゼミで雑誌を作り、売ることの意味

ブログ投稿者:メディア社会学科 専任講師 林凌

 「私たちは、自身が身を置くこの社会を、巨大な「養鶏場」に喩えてみることから始めようと思う。」

私たちのゼミ(3年)が今年作成した『kiki』というリトルプレスは、ある学生が発案したこの巻頭言から始まります。テーマは「埒外」。学生16名と教員がこのコンセプトのもとに持ち寄った企画記事と、それぞれが研究を進める中で取り組んだ書評、計33本で構成されています。新書版とは言え400頁もあるこの雑誌は、2026年2月22-23日にジュンク堂池袋店で開催された「第二回人文系リトルプレス市」にて頒布され、数十部が販売されました。
 
バイブコーディングを通じて半日もせずに複雑なアプリを作り、500頁の専門書を一瞥もせずに2000字に要約する事ができる。そうした時代に、紙で雑誌を作ることに何の意味があるのか。このブログをお読みの方には、そう思われる方もいるかも知れません。
 
しかし、私はそうした時代だからこそ、なにか手触りのある仕事を学生時代に経験しておくことが必要だと思っています。ここでの手触りとは、たとえば液晶スクリーン内での抽象的な操作の帰結として、数センチの厚さを持つ300g程度の冊子が生まれるということや、それがいかに特殊な市場であろうと、学生が己の考えや文芸を書き連ねたものが、商品として売れてしまうということを、肌体験として得るということを意味します。
 
こうしたことを知るためには、今流行りのツールを学ぶだけでは不十分です。確かに、現代の大学教育においては最先端のデータサイエンスやITに関する知識を持つ若者の育成が期待されており、私も微力ながらその一翼を担っています。しかし、私はそうした教育の際に、プログラミングやデータ分析スキルなどが主な論点となることに少しばかりの違和感がありました。
 
なぜか。確かにこうしたスキルの習得を通じて、私たちは糧を得るうえで必要な他者との差異を得ることができます。しかし、その差異ははっきり言ってしまえば、多少頑張って勉強すれば得られるものに過ぎません(もちろんその勉強も大変なのですが)。本質的な差異、つまり他者ではなく自分を選ぶべきだと人々を説得することができる能力とは、より根幹的な部分にかかわるものです。
 
かつて小説家の村上龍は、「作家は人に残された最後の職業」と述べました。文章を書くこと自体は、現代であれば日本に住むほぼ全ての人ができます。だからこそ作家とは、価値ある情報を持ち、かつそれを他者に伝えなければならないと信じる人にしかなる資格がありません。そしてこの信念は、いささか循環的ですが、実際に文章を書き、他者に伝える作業を通じてしか出てこないものです。

現代において、生成AIなどを通じて「それっぽいもの」を作ることは、信じられないくらい容易になっています。しかし、この「それっぽいもの」を土台に「ここにしかないもの」を作ることは、自らの信じるものを伝えようとする努力なしにはできません。これはつまり、多くのホワイトカラー職が頼るスキルが、今や作家のそれと類似のものになりつつあることを意味します。

私たちの持つスキルが陳腐化した際に最後に残るのは信念だけであるならば、私たちはまずそれを獲得しなければならない——この取り組みで目指していることは、そういうことです。
 
さて、私たちは現在、このリトルプレス『kiki』を、ECサイトや書店で販売する計画を進めています。本誌にご興味・ご関心がある方は、近日中に詳細をご報告いたしますので、ぜひXで@HR67579657をフォローしてみて下さい。