情報の非対称性の谷に
「橋」をかける
医療の翻訳家に

社会学部 メディア社会学科
市川 衛 准教授

#社会学部 #ゼミ・研究室 #教員
今回は、医療の翻訳家として活躍されている社会学部メディア社会学科の市川衛先生に、どのような活動をなさっているのか、今後のビジョンなども含めてお伺いしました。

2025年度のベストティーチャー賞受賞、おめでとうございます!!

ベストティーチャー賞の賞状を手に
ありがとうございます。今回、学生たちから高い評価をいただいた授業は、「ドキュメンタリー研究」と、「コンピューティング応用B」の2つです。

「ドキュメンタリー研究」は、古今東西の優れたドキュメンタリー番組を見て、その時代背景や撮影手法、さらには作品に込められた監督のメッセージと社会課題との関係などについて考察を深めるというもの。200人近い大講義でしたが、受講生を約4人のグループに分けてディスカッションをしてもらいました。こうした「対話」を重視した授業設計が、学生たちにとって良い印象につながったのだと思います。

「コンピューティング応用B」は、発展の著しい生成AIについて学び、最終的にそれを駆使して武蔵大学を紹介するPR 動画を制作するという授業。
私も驚いたのですが、学生たちの作品が、非常にユニークなアイデアにあふれ質の高いものであったこと。これは、生成AIの活用で、映像制作の技術的なハードルが下がった分、学生の創造性がより発揮されたからだと思います。今後どんどん進むAIとその活用のポテンシャルを肌で感じられたことが、学生にとって新鮮だったのかもしれません。

市川先生は医学部を卒業後、メディアやジャーナリズムへとお進みになり、医療ジャーナリスト/医療の翻訳家として活躍されています。そもそも医療を翻訳しようと思われたきっかけは何ですか?

「医療の翻訳家」というのは私が勝手に作った肩書ですが、「医療や健康の難しい専門的な情報を、一般の人に役に立つ形に翻訳してお伝えする能力を持ち、活動する人」と定義しています。

大学卒業後、NHKで21年間ほどディレクターとして番組制作に携わっていましたが、医学部卒という自分の特徴を生かし、医療や健康に関する番組をたくさん制作しました。

その過程で気づいたのですが、特に医療分野では、サービスを提供する医療者側とそれを受ける患者や市民側との間に大きな知識の差があります。こういう関係性のことを「情報の非対称性」と呼びますが、これが原因で、医療者が言いたいことが患者に伝わらなかったり、逆に、患者が医療者の言葉に不信感を抱いたりして、せっかく最適な治療法があるのに、それを選択できないことがあります。
命に関わるような病気であれば、なおさらその人の人生を大きく左右する重要なことです。

そこで、私がかつて番組制作をしていた頃に、情報の伝え方のトレーニングを積んでいたこと、取材等によって得た医療情報についての知識を多く持ち合わせていること、など自分のユニークな能力を生かすことで、情報の非対称性の谷の「橋渡し」となれるなら、私の存在する意義が生まれるのではないかと思ったのです。

現在、社会学部のゼミをいくつかお持ちですが、学生との活動(フィールドワーク、企業訪問など)について、具体例をお聞かせください。

被災地(能登半島)で話を聞くゼミ生たち
私が今担当している3年生のゼミが目指しているのは「社会を良くするコンテンツを作る」です。医療に限らず、コンテンツの持つ力(翻訳力、発信力、人を勇気づける力など)を使って、社会で悩みを抱えていたり、弱い立場に立たされている人のお役に立つことを目指しています。

中でも注力しているのが、2年前に起きた能登半島地震の被災地で、現在も復興に取り組む人たちにとってのコンテンツ作りです。

今年3月にはその一環として、ゼミの有志学生5人と能登の被災地を訪れ、たくさんの地元の方にお話を伺いました。

穴水町の甲地区を訪れた時は、その地域で唯一開いているお魚屋さんにふらっと(アポなしで)お邪魔させていただいたのですが、お店を切り盛りするおばあちゃんが、とても喜んでお話をたくさん聞かせてくれました。すると、周りの住民の皆さんも集まってくださり、学生たちを囲んで楽しい会話の輪ができました。(とてもたくさんの美味しいお魚をいただくこともできました※もちろんお代はお支払いしました)

地域の復興支援と言うと、大それたことのような気がします。でも、能登に住むあの魚屋のおばあちゃんにとって役に立つコンテンツって何だろう、と考えればアイデアが湧いてきます。自分が幸せにしたい「誰か」を明確する。そのためにも現地を訪問し、実際に話を伺うことはとても大事だと考えています。

医療の翻訳家としての活動と大学のゼミと、一見異なるものに思えますが、共通点はありますか?

かなりあります。というか私としては同じような活動だと考えています。

私が行動原理としているのは、まず、お悩みを抱える人は誰なのか?どうなってほしいのか?という「目的」を明確にして、その人の悩みを少しでも軽くするための「手段」を考えるということです。

いま医療の翻訳家としては、色々なテレビ局や雑誌などでインタビューを受けたり、自分自身で番組をプロデュースしたり、連載記事を書いたりしていますが、常にその原則は変えないようにしています。そして先ほどお話しした通り、ゼミで学生を指導する時も、同じ原則を伝えています。

また別の話になりますが、私のゼミはメディア企業に就職を希望する学生さんが多いので、知り合いのクリエイターさんに話をしてもらったり、医療の翻訳家として出演を依頼されたディレクターさんを通じて、テレビ局を見学する機会をいただいたりしています。私個人としての取り組みと、大学での教育活動がシナジーを生んで、どちらにも良い影響を与えられるようにしたい、というのはいつも意識しています。


最後に、市川先生の思い、伝えたいメッセージがあれば自由にお話しください。

アフリカ・ザンビアでHIV陽性の当事者たちを取材したときの様子
私は、目の前にあることを、自分にできる最大限の質で応えたい、という思いで日々あくせくしています。

ただこれは、私にとってはとても大事なことだと思っています。以前、認定NPO法人全国こども食堂支援センター・むすびえの理事長をしていらっしゃる湯浅誠さんの講演を聞いたことがありますが、その時に湯浅さんがおっしゃった「1mmでも進める」という言葉が今でも胸に残っています。

社会を良くしよう、なんて言われたら、自分の手に余るような気がしますよね。でも、自分の目の前にある課題を1mmでもより良くするように動かすことならできるかもしれない。そして、同じように思う人が1,000人いれば1m、100万人いれば1kmも動くことになります。
だから私は1mmでも2mmでも、より良くなるようにやってみるようにしています。そしてその活動が広がり、同じような仲間が次々と現れたなら、本当に社会を動かすことにつながるかもしれません。

武蔵大学で担当している教育活動も、そんな「仲間づくり」の一環という思いで向き合っています。もしも、こんな変なことを考える教員に興味を持ってくださる学生さんがいましたら、是非、武蔵大学で共に学びましょう。