自然科学・身体運動科学分野活動ブログ

2023.09.25

  • 武蔵One Point自然観察

イチョウ (Now武蔵の自然 - 53)

ブログ投稿者:名誉教授 丸橋珠樹

 今年2023年の夏は猛暑でしたが、少しづつ秋の気配も近づいてきました。代表的な秋の風景の一つが輝く黄色に染まったイチョウの並木の風景です。あるいは、銀杏を避けながら歩くことを思い起こす人もいるかもしれません。武蔵にも数多くのイチョウの木があり、あちこちに大量の銀杏が落ちているのを目にします。
写真01:銀杏が樹上でも沢山結実している。撮影日時 : 2023:09:17 09:46:56
写真02:図書館と三号館の所の銀杏は、行き来する自動車で、踏みつぶされている。撮影日時 : 2023:09:21 09:26:21
写真03:幹の傍で一メートル四方の落下個数を数えてみると238個でした。本当に荒くですが、幹から半径3メートルの範囲に落下するとすると6700個ほどになります。見上げるとまだまだ沢山樹上に残っていますから、万の単位で結実しているのでしょう。撮影日時 : 2023:09:22 12:20:06
写真04:3号館屋上でのミツバチ飼育活動のときに3号館端のイチョウを撮影しました。まだ、沢山の銀杏が樹上に残っているのを確認できます。撮影日時 : 2023:09:23 09:41:52
 イチョウは火除けの木としても知られています。葉は分厚く水分が多くて燃えにくく、幹も同じく水分が多く延焼を防ぐ効果があります。江戸は幾たびも大火に見舞われ、防火対策の一つが、防火用の空き地「火除け地(ひよけち)」でイチョウが植えられました。2023年は関東大震災から100年目の節目の年ですが、イチョウ並木が延焼を防いだという事例も数多くあったそうです。千代田区大手町には、関東大震災で消失を免れ、焦げた木が震災復興のシンボルとされ、今も記念樹として護られています。
写真05:武蔵の講堂あたりにも大きなイチョウが二本あります。手前の大きな木は雄木で講堂に隣接しているのは雌木で写真を拡大すると銀杏を確認できます。講堂が完成したのは、関東大震災後ですから、この木々も約100年近くの樹齢を重ねているのでしょう。撮影日時 : 2023:09:22 12:21:11
写真06:講堂傍の雌木の下には、ぎっしり銀杏が落ちています。学生たちにはSDGsの一つとして、白雉祭で銀杏を販売したらと提案しているのですが、未だ実現していません。撮影日時 : 2023:09:22 12:22:22
 イチョウは植樹してから結実するまで長い年数が必要な樹種で、孫の世代まで三世代はかかるということから、漢名では公孫樹です。銀杏は果実の色から、鴨脚というのは葉の形から由来しているそうです。日本には室町時代に中国から移入されたといわれています。
 
今年2023年のNHK朝の連続ドラマは、牧野富太郎がモデルとなっています。関東大震災で収集していた植物標本を消失し、その後、練馬区大泉に居を移しました。このドラマの中で、明治29(1896)年9月、東京大学理学部植物学教室に勤めていた画工平瀬作五郎がイチョウの精子を発見する場面がありました。机の上に銀杏の若い実が山ほど積み上げれ、一つづつ根気よくナイフで薄く切っては顕微鏡で観察する姿は印象的でした。
 
春に雌花と雄花が咲き、花粉が若い雌花に取り込まれあす。その後、夏過ぎる頃、胚珠が成長した時に合わせて、花粉管の中に精子が形成され、胚珠が用意した「海」のなかを泳ぎ受精するのです。平瀬作五郎はイチョウの受精の全体像をきめ細かく観察・研究しました。切片の中で泳ぐ精子に出くわすという、本当にまれなタイミングの観察を成し遂げた平瀬の観察眼の積み重ねに敬意を抱きます。陸上植物である裸子植物の中には、精子生産をする分類群があるという、大きな植物学上の大発見を成し遂げました。研究成果の発表から十数年後、明治45(1912)年、平瀬は池野成一郎とともに帝国学士院恩賜賞を受賞するのですが、彼の生涯とそのエピソードには明治時代の陰を感じます。この時代の学問の動向や大学について、皆さんも調べたり探索しみてください。