自然科学・身体運動科学分野活動ブログ

2022.11.04

  • 国東農業研修

七島藺農家松原さん 松熊つばさ (国東-2022-11)

ブログ投稿者:基礎教育センター 教授 丸橋珠樹(Professor Tamaki MARUHASHI)

 椿神社や国東塔、横穴石仏群を訪れ、国東市特有の神仏習合の文化や明治期の廃仏毀釈の爪痕を目にした後、私たちは七島藺農家松原正さんのもとを訪れた。
 
 そもそも七島藺とは何なのか。七島藺とは大分県全域で栽培されていた主に琉球畳の畳表に使われるカヤツリグサの一種である。若草のような優しい香りと長年使っていてもささくれ立たない耐久性が特徴で、以前は火を多く利用する部屋の畳としてや大きな摩擦の生じやすい柔道場の畳として重宝されており、1964年の東京オリンピックでも利用されたそうだ。実際に見せていただいたところ、優しく心安らぐ香りとつやがあり肌触りが心地よかった。また、三十年ほど使った畳表も見せていただいたが全くささくれ立った様子もなく猫が爪とぎをしていたという部分ですら穴が開いている様子は見られなかった。驚くべき耐久性である。
 
 しかし、機械で田植えをするには苗が大きすぎること、収穫をするにも地下茎を伝って不規則に成長してしまうことから機械化ができず、手間がかかり価格も高価なものとなってしまうため、イ草の畳に取って代わられていってしまったそうだ。今回、実際に七島藺を割く作業を体験させていただいた。七島藺は断面が三角形になっておりそのままでは乾燥しずらいので一本一本二つに割かなければならない。以前行っていた手作業でやる方法と現在使われている機械を用いる方法の二種類を体験させていただいた。以前の方法の手本を見せていただくと簡単そうに手際よくやられるのだが実際にやってみると難しい。指の感覚で真ん中のあたりを探ってピンと張ったピアノ線に通すのだが、真ん中はどこか、すんなり通すにはどう力を入れるのか、とあれこれ考えているうちに結構時間がたってしまう。これを一本ずつ何千本、何万本とやっていたと考えると気がめいってしまう。
 
 松原さんは幼少期この作業をお小遣い稼ぎでやっていたそうだ。機械の方は確かに手作業よりは簡単だった。しかし、機械に入れる前に全体を確認して畳表を作るには細すぎるものを取り除く作業があり、一回にそんなにたくさんの量を入れられるわけではないため時間も手間も少ないわけではないと感じた。今回体験させていただいたことだけでも手間暇がかかることを十分に感じることができた。
 
 田んぼを持つ人は地域に合わせながらもほとんどの人が七島藺も育てていたといえるほど盛んであった国東半島の七島藺栽培も、儲かるミカン栽培の盛り上がりで生産量が激減した。ところが、その後オレンジの自由化によって、ミカン単価の大幅な下落などによる農家人口自体の減少により、今では、栽培者は現在国東市安芸地区の六軒の農家を残すのみとなってしまった。栽培農家も後継者がいるところはなく、新規就農者が何人か七島藺の栽培を始めてくれたことで何とか生産量を維持できている状態なのだそうだ。お話を聞かせてくれた松原さんは基本的にはご家族のみで作業を行い、人手が必要なときだけ、お手伝いとして二人ほどに来てもらっているとのこと。
 
 松原さんのもとに七島藺栽培を勉強しに来ている緒方聖治さんからもお話を伺った。緒方さんは別府にあるAPU(立命館アジア太平洋大学)で過ごしていた時に七島藺を知り、名古屋で就職をしたのち七島藺の希少性に興味を持ち栽培を学びに来ているそうだ。海外ではインテリア畳といえばほぼ七島藺であり、海外へのネット販売を見据えているとのことだった。教えてもらった彼のサイトには収穫作業、割く作業、草履づくりなどの映像が英語解説で掲載されていた。
 
 最近のお話を聞かせてもらうと、落ち込んでいた畳の消費は近年の和モダンブームによって上昇傾向にあるそうだ。特に七島藺はその強さから縁のない畳を作ることができるため注文が殺到しているが、生産が追い付かないとうれしい悲鳴を上げていた。
 
 帰り際に松原さんの奥様が手作りした七島藺畳表の端材で作った馬のストラップと地元の伝統菓子、蒸しサツマイモを混ぜ込んだ石垣餅、越名さんからはシャインマスカットをいただいた。たくさんの体験とお話をありがとうございました。
 
  • 写真1:七島藺の束を持って、松原さんご夫妻、緒方さんと作業場の皆さんと集合写真。撮影日時: 2022:09:03 12:10:19
  • 写真2:七島藺を二つに割く機械による作業体験。撮影日時: 2022:09:03 11:11:22