人文学部ゼミブログ

2012.05.21

  • 人文学部
  • 日本・東アジア文化学科

幻想文学の愉しみ(アダム・カバット)

連休明けになり、ようやく日本幻想文学演習が軌道にのりました。
 
今年度の授業の内容は大きく変わりました。今までのやり方は、発表者が 「幻想文学」という幅広いジャンルのなかから自ら作品を選び、発表の一週間前に他の受講生全員にコピーを配りました。連続性が低い授業となりましたが、一年間のあいだ数多くの文学作品に触れることができました。毎週毎週、性質の違う作品が登場するのは大きな楽しみでした。
 
今年度のゼミでは、4人の作家に絞ることにしました。前期は、泉鏡花と谷崎潤一郎を読み、後期は川端康成と三島由紀夫を読みます。この作家たちを選んだ理由は極めて単純 で、私が特に好きだからです。こう言ってしまうと、担当教員の「わがまま」のように聞こえますが、じつはこの4人の作家にはある共通性があります。それは 「日本的な美」へのこだわりです。もちろん、美の表現はそれぞれ違いますが、いずれも非現実な側面を強く感じます。一年を通して、面白い比較対象になると考えています。
 
内容がやや難しいため、今回は受講生が少なくなるだろうと心配(期待?)しましたが、教室いっぱいの25人のゼミになりました。しかも、文学作品をきちんと読んだことのない学生も多くいます。この大学が理想としている「活発な議論」はちゃんとできるのでしょうか。
 
私の不安を募らせるもう一つの要因があります。それは最初に取り上げる作家が、文章が難解で有名な泉鏡花だからです。順番から考えると、一番古い鏡花から始めざるを得ないのですが、文学の経験の浅い学生に鏡花の文章をいきなり読ませるのは少し気の毒だとさえ思いました。
 
しかし、二つの発表が終わった今では、これが、取り越し苦労だと分かりました。確かに、泉鏡花の文章は難しいが、力強さがあります。「よく分からないけれど、面白い」と言う学生もいれば、「いや、分からないからこそ、面白い」と言う学生もいます。
 
先週読んだ「若菜のうち」(1939年)は8ページしかない短編小説です。老夫婦が修善寺の山裾を歩いているあいだに、幼い姉妹に出会うだけの話ですが、発表者が指摘したように、なんと17種類の植物の描写があります。細かい自然描写でありながら、文章は幻想的で謎だらけです。学生から様々な意見が出まし た。
 
授業が終わったあとに、数人の学生が教室に残りました。「子のない夫婦は、さびしかった」という一行は、この短編小説を理解する上で は、重要なポイントのようで、ある学生はこれに関しての独自の解釈を披露してくれました。話がどんどん盛り上がって、気がつかないうちに、次の授業の学生が入って、先生まで入りました。結局、えらい迷惑をかけましたが、そこまで文学が面白くなると、嬉しくなります。