人文学部ブログ

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投稿日時: 2009年12月11日

パスカルの『パンセ』を用い、キリスト教的人間論を学んでいます。パスカルは17世紀のフランスの思想家で、「人間は考える葦である」といった警句や大気圧の発見者(ヘクトパスカルの単位の由来)としてあまりにも有名です。しかし、彼の思想は現代の日本の大学生がいきなり触れても取っ付きにくい部分があるので、前期は「エニアグラム」という9つの性格分析のワークを補助的に用いました。

エニアグラムはいわゆる血液型判断などとは大きく異なります。まずチェックシートから自分のタイプを探し、そこから自分の気づかない行動の原動力の源に目を向け、とくに弱さや囚われへの気づきから肯定的に自分を高めていくというものです。弱さや限界の気づきから上昇するという逆説的方法は、パスカルそしてキリスト教的思考パターンの理解に非常に有効です。

夏休みの『パンセ』についての自由レポートをもとにした後期の発表では、学生たちが随分パスカルを理解できるようになり、教師の私もびっくりするほどです。

思想のゼミは、自己理解を深めるためにも理想的です。就職活動のエントリーシートにも自己分析が課されますが、授業での思索・反省はこのような実践面でも必ず役立つことでしょう。思想書は大学卒業後は出会いの機会が殆どないと思います。是非大学時代に触れてみてください。

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投稿日時: 2009年11月2日

今年度のアメリカ文学演習では、Willa CatherのMy Ántonia(1918)という小説を丁寧に読み進めています。Catherは自分の育ったアメリカ中西部を舞台に移民開拓者の生活を多く描いた女性作家です。My Ántoniaの冒頭では、10歳の少年ジムが東部から中西部ネブラスカ州に越してくる道中、どこまでも広がるプレーリーに驚く場面が描かれます。例えば、次のような一節をご覧下さい。

There was nothing but land: not a country at all, but the material out of which countries are made. [. . .] I had the feeling that the world was left behind, that we had got over the edge of it, and were outside man’s jurisdiction.

どこまでもどこまでも続くプレーリー。人間社会を後ろに置いてきてしまったような、吸い込まれてしまいそうなくらいの大自然は、まさにアメリカの原風景ともいえるでしょう。丁寧に文章を読み解くことを通じてこのような風景を味わうことも、文学演習の醍醐味です。
 授業では、1回に2~3章ずつ、担当者の発表を中心に進んでいきます。発表者は各々1章を担当して、章の梗概、語句の注釈、重要な点についての考察を発表し、それからゼミ全体で重要な場面についてディスカッションをします。同じ1つの場面でも、それぞれ読み方・感じ方が違いますので、お互いの意見を話し合うことで「そういう読み方もあるのか」と作品が豊かに広がっていきます。原書を1冊読み通すということで、皆さん最初の頃は英語を読むことに苦労もしていましたが、だんだんと慣れてくると、登場人物に親近感が沸いたり、またテクストの表面に書かれていないことを読み取ったりと、作品分析も深くなっています。また、小説の読解に加え、文学作品の背景となるアメリカの社会状況(移民政策や「西部」のイメージなど)についても調べることで、理解が深まりつつあるのではないかと思います。受講生からは「翻訳がない英語テクストを読むので、英文読解力がつきます。英文読解力をつけたい人はぜひ。」との声もあります。アメリカ文学演習では、毎年異なる小説を取り上げていきますが、これからも原文の言葉一つ一つを大切にしながら、作品を丁寧に読み解いていくことを大事にしていきたいと考えています。

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写真1:My Ántonia

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写真2:アメリカ・ネブラスカ州 Willa Catherの故郷近くのプレーリー(2007.8. 新井撮影)


投稿日時: 2009年11月2日

 英語コミュニケーションコースの学生は3年次にコミュニケーション演習BならびにCを履修し、4年次の英文エッセイ執筆に備えます。そのうちの演習Bの内容を紹介します。
 この演習には2つの柱があります。英語コミュニケーション技能のうち、特定テーマについて話す(プレゼンテーション)、討論(ディスカッション)するトレーニングを行なうことが第1の柱です。今年度は題材を、鈴木孝夫氏の『ことばと文化』の日・英語版テキストからとっています。それぞれのテキストをしっかり読んでポイントを押さえ、さらに、論点の批判的吟味を行います。その過程で、とりたてて気にもとめなかった日本語の言い回しが英語ではどう表現されているかを理解したり、ちょっとした用語がひどく専門的な用語であったりするのを知るなど、色々なことが学べます。文中表現を用いて、短文を作ってみる練習も含まれています。
 もうひとつの柱は、4年次のエッセイ執筆に向けて、各自のテーマを探すことです。そのプロセスの中間・最終報告を英語で書き、また口頭発表します。発表では終わらず、その後の質疑応答も英語コミュニケーション技能の一例となります。
 演習の醍醐味は、このような検討、討論作業を通じて、自分一人では思いもよらなかった内容の展開に気づけることです。自分のテーマに出会い、それについての自分の考えを整理して発表・討論しあう中で、自分やクラスメートたちの考え方の特徴を知ることにもつながります。登山に例えれば、秋は7合目、8合目にさしかかるこの時期。次第に見えかけてきた頂上に向けて、時に平坦ではない山道をゼミの仲間で励ましあいながら登りつつある、そんな行程をたどっています。

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投稿日時: 2009年11月2日

今年も武蔵大学で韓国・朝鮮語を履修している学生を中心に参加者を募り、恒例の韓国ゼミ合宿を9月初旬に4泊5日の日程で開催しました。といっても、韓国まで行って堅苦しい勉強をするのではなく、ソウル市内や郊外を見て回っていろいろなことを考えたり話し合ったりする合宿です。食事のたびにグルメを楽しむのはもちろんですが、旅費がさほどかからないために毎年学生たちに好評で、今年も人文学部や社会学部など13名の参加者を得ました。

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今年も参加者に人気だったのが、武蔵大学の提携校、高麗大学での学生交流会です。9月初旬の学期初にもかかわらず(韓国の大学は9月1日から2学期が始まります)、今回も高麗大の多くの学生さんに参加してもらい、武蔵大の学生たちと互いの生活を紹介することなどから、人生観、世界観、はたまた日韓関係や歴史認識についての考えなど、ソフトな内容からハードな内容まで、真摯な討論が繰り広げられました。

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その熱気は、大学での交流会後につづけて行われた会食でもつづきました。今回、武蔵大から参加した13名の学生はみな女子学生ばかりだったのですが、高麗大の男子学生たちに負けることなく、その身のこなしもたいしたものでした。この合宿に参加する武蔵の学生たちはみな、帰国後に韓国語や韓国文化、歴史などに対する関心をさらに深めていきます。高麗大の学生たちがみな流暢に日本語を話すのはもちろん、その日本語で自分の考えを理路整然と語るのを見て、とても刺激を受けるようです。

来年も同様の企画を計画しようと思っています。できればもう少し旅程を延ばして、韓国の地方を学生たちに経験してもらいたいと思っているところです。

(追)学生たちの感想文や旅行中のスナップなどは以下のページでもごらん頂けます。
http://wata2002.kt.fc2.com/trip2009.htm


投稿日時: 2009年11月2日

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最初の絵はメーリアンが描いた1647年のアイゼナハの版画です。アイゼナハは中部ドイツ、チューリンゲン州にあり、今日でも人口4万3千人の小さな町です。ドイツの真ん中にあるところから交通の要衝として古くから栄えていました。町の周りを城壁が取り囲み、たくさんの物見櫓や市門があります。町中には教会、市庁舎、城館、市の立つ広場などがあり、城壁の外は畑、牧草地、森などで、典型的な中世都市の姿を見せています。しかし、この小さな中世の町は単なる地方都市に留まらず、ドイツ、ひいてはヨーロッパ、更には世界中への文化の発信地となりました。
まず、この町はヨーハン=セバスチアン・バッハ(1685-1750)の生まれた所です。バッハの家系は彼の前にも後にもたくさんの音楽家を輩出した一族として有名です。バッハは、ヘンデルなどと違って、ワイマル、ライプチヒ、ケーテンなどほぼ半径80キロ四方の中部ドイツで地方領主たちに仕えて音楽活動をしました。しかし、彼の音楽は中部ドイツのみならず、ドイツ、さらには、ヨーロッパ各地で演奏され、愛されています。
次に、町の後方の中央の山の上に城が見えますが、この城はヴァルトブルクと言い、現在は世界遺産に指定されています。ここはローマ教皇によって破門されたため身が危うくなったルター(1483-1546)を彼の領主であるザクセン選帝侯が匿った場所であり、ルターは1521/22年にこの城の一室で新約聖書をドイツ語に翻訳したことで知られています。このルターの聖書は彼の革命思想とともにヨーロッパ中に広まり、ついにはキリスト教世界を二分することとなりました。

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さらに時代を遡ると、ヴァルトブルクの城は13世紀初頭に「ヴァルトブルクの歌合戦」の行われた所と言われています。2枚目の絵はその時の場面を描いたものです。中世ではミンネザングという詩が盛んに作られました。ミンネは「愛」という中世語ですから、ミンネサングは「愛の歌」という意味になります。しかし、この愛は近代的な個人同士の愛ではなく、中世封建社会の主従関係に擬えた、「高貴な身分の女性に対する騎士の精神的な愛の奉仕」といったものがテーマとなっています。そのようなミンネの詩人たちが中世のあるときこの城に集まって詩作の腕を競い合ったという言い伝えがあるのです。絵の上半分はチューリンゲン方伯、ヘルマン1世夫妻がいます。下半分にはヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデ、ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ、老ライマール、などの詩人が並んでいます。彼らは実在の有名な中世文学の作者たちです。また、このヴァルトブルク城には、ハンガリーの王女エリーザベトがチューリンゲン方伯、ルードヴィヒ4世の后として住んでいました。彼女は、日本の奈良時代の光明皇后のように、癩病患者の救済のために働き、1235年にローマ教皇によって聖女とされました。ゴシック建築として有名なマ-ルブルクのエリーザベト教会は彼女の墓所の上に建てられたものです。

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3枚目の絵はタンホイザーです。タンホイザーも中世のミンネ詩人ですが、彼の実在は確かなものの、その詳細はわかっていない部分が多々あります。彼の着ているマントにある黒の十字架の印はドイツ騎士団のものですから、タンホイザーは騎士であり、十字軍の遠征に参加したと考えられています。彼には次のような伝説があります。彼はローマ神話の美の女神ヴィーナスの愛に溺れていましたが、キリスト教徒である彼は懺悔のためにローマ教皇のもとへ旅をします。しかし、教皇からは、自分の杖にふたたび緑の若葉が芽生えることがないであろうと同様にお前の罪が許されることはない、と言われて落胆のあまり帰りの旅の途上で死んでしまいます。
また歴史を元に戻ると、1845年にワーグナーはこのヴァルトブルクの伝説とタンホイザーの伝説を結びつけ、ヴァルトブルクの歌合戦に敗れたタンホイザーが放浪のすえ聖女エリーザベトによって救われるというオペラ『タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』を書きました。彼はこの他にも中世文学を素材にした『ローエングリン』、『トリスタンとイゾルデ』、『ニーベルングの指輪』、『パルジファル』などを書いています。
私のゼミではただ単に中世や近世の文学作品を講読するのではなく、中世・近世のヨーロッパ世界やその文化の歴史的背景をよく知った上でそれらの作品を読むことが大切だと考えています。中近世の作品は今日の私たちの考えや価値観とは異なった世界で生まれたものだからです。例えば、中世の作品は今日のように私たちがひとりひとり目で黙読するものではなく、中世では書物は大変貴重なものであり、誰でも手に入れることはできませんでしたし、文字を読める人も限られていましたから、作品は文字を読める人が皆の前で朗読して、皆は耳で聞いて楽しむものでした。また、そのテクストは韻文であり、リュートなどの伴奏で節を付けて歌うものでもありましたから、現代ドイツ語訳や日本語訳では本当のところは味わうことはできないのです。


投稿日時: 2009年7月1日

もう7月になりました。「ゼミの時間は、濃い」というキャッチコピーを時々武蔵大学では使っていますが、本当に真剣にゼミをやっていると、一週間を非常に長く感じます。なぜなら、その間に心がゼミから離れることがないからです。

単に課題が多いという意味ではなく、ちゃんとした発表にするための工夫を考えたり、チームの人間関係に気を配ったりしていると、自然と気持ちがそっちに向いているのです。

そんなふうに夢中になってしまうゼミのひとつとして有名なのが、三学部横断型ゼミです。学部ごとに得意分野を生かして、協働でひとつのものを作り上げます。そのプロセスは、すべてmixiのような独自のクローズ型SNSに記録されてゆきます。授業時間外の会議もネット上で行われたり、情報共有のためのファイルが刻一刻とUPされていきます。

活動記録のブログには思いが日々つづられ、お互いにコメントをしあって励まし合います。

SNS画面
[画像:学部横断ゼミ専用SNS画面]

非常に高度で複雑な内容であるため、ひとことで活動を説明しにくいところが多いのですが、(三人の教員が担当しているうちの)人文学部担当の私から、人文学部生のゼミでの役割について説明します。このゼミではおもに中小企業の「CSR報告書」を作成しているのですが、人文学部では、CSR(=企業の社会的貢献)と呼びうる活動の根幹にある理念、つまり「大事な考え方」を探りだし、デザインやキャッチコピーなどの表象部分でメッセージを伝えるやり方を考え、実際に作成したり、文章を考えたりしています。

目に見えないものを、目に見えるものに変えること、つまり
漠然と思っていることを、言葉や形に翻訳してゆくのです。

もし、その成果をその目で見たい、確かめたい、という方は、どなたでも結構ですので、

学部横断型ゼミナール・プロジェクト学内発表会
7月4日(土)14:00~ 8号館6階 8603教室

においで下さい。ゼミの武蔵の底力をお見せいたしましょう。


投稿日時: 2009年4月9日

 素朴な疑問、率直な印象からレポート、論文へ

 この演習では毎年明治期の小説を読むことが多い。多くの作家の作品を毎回1篇のペースでとにかく多読、という年もあるし、長編1篇を1年かけて読む、という年もある。ある年の演習は、一人の作家(森鴎外)の作品を時代順に読破して行こうという、いわば両者の中間のような形を取った。やり方が一定しないのは、文学専攻の学生ばかりではないので、さまざまな関心や研究方法に対応できるようにと考えたためである。

 さて、その鴎外追跡の年のある日の演習。対象としていたのは明治末の小説『青年』だった。先に発表された夏目漱石『三四郞』を意識したこの作品の主人公は、地方から上京した知的な美青年小泉純一(名前は似ているが、後に首相になった人ではない)。
 彼は上京後、近所の別荘に住む銀行頭取のお嬢様、「大きい目」が印象的なお雪さんや、翻訳劇を上演中の劇場で出会った妖艶な未亡人坂井夫人などの女性と知り合い、さまざまな交流を持つ。純一はもちろん彼女たちの魅力に惹かれるのだが、なかなか恋愛に進展しない。たとえば、障子を閉め切った部屋でお雪さんと二人、寄り添って画集を見ている場面がある。お雪さんの眼は画中の人物を、純一の目はお雪さんを追う。

 頬から、腮から、耳の下を頸に掛けて、障ったら、指に軽い抗抵をなして窪みそうな、鴇色の肌の見えているのと、ペエジを翻す手の一つ一つの指の節に、抉ったような窪みの附いているのとの上を、純一の不安な目は往反している。

 さらに官能的なことばが続く。
 袖と袖と相触れる。何やらの化粧品の香に交って、健康な女の皮膚の匂がする。どの画かを見て突然「まあ、綺麗だこと」と云って、仰山に体をゆすった拍子に、腰のあたりが衝突して、純一は鈍い、弾力のある抵抗を感じた。

 しかし、純一は決してそうした官能の中に自分を解き放とうとしない。かえって「この娘を或る破砕し易い物、こわれ物、危殆なる物として、これに保護を加えなくてはならないように」感じたりするのである。
この前後をめぐって議論していた最中、ある女子学生から
「コイツ、口ばっかりじゃん!?」という発言があり、教室のあちこちから共感の笑い声が揚がった。確かに、それは印象としてはなかなか鋭い。Aを通り越してSと評価しても良いくらいである。
しかし、「××じゃん!?」という印象のままでは論文にはならない。
「じゃあ、『小泉純一は、なぜ口ばっかりなのか?』なら、アリですか?」
解くべき問題を明確に示せた、という意味で、「アリ」。しかし、「口ばっかり」というのは論文の文体ではないだろう(「アリ」もだが)。
「じゃあ、『なぜ、行動が伴わないのか?』では?」
アリ! いや、良し! しかしその前に、「どのように『口ばっかり』なのか」を確認することが必要だろう。
そこからは百花斉放。
「こいつ、知識は凄くてやたら外人の名前を並べて恋愛論をやるんだよね」
「そうそう、『欧米か!?』ッて、突っ込みたいくらい」
「それに、女には娼婦型と母親型しかない、なんて生意気な事もいうし」
「それって、彼の友だちがする話でしょ?」「あ、そうだっけ?」
「でも、美人の坂井夫人とは『口ばっかり』の関係ではないみたいだよ。彼女の家を訪ねた後、『知る人』になったって書いてある」
「そうだけれど、これは『衝動』で『恋愛』ではないッて何度も断ってるね」
「純愛派なのかな?」
どれもおもしろい指摘だ。これは宿題だけれど、千年前に『源氏物語』なんていう性愛派?の傑作を生んだ日本で、何で今頃「純愛派」が出て来るのか。
「大勢出て来た、あの外人たちの思想の影響ですか?」
そう! いや、それも宿題。
「先生、鴎外の主人公って、みんなこうですか?」
高校の国語で『舞姫』をやった人も多いはずだが。
「あ、あれは一目惚れです! 初めて会った時、エリスの青い瞳が豊太郎のハートを直撃するんです!」……

 この後議論はまたあちこちに飛び火したが、本欄での紹介はここまでにしよう。「口ばっかり」から始まって、西洋思想の問題、文学史の問題、鴎外作品の問題などが芋蔓式に掘り起こされたのだった。
ともかく、初めて読んで感じた印象や疑問、それを「率直」や「素朴」なままにしておかないで明確な問の形に成長させて行くことが重要である。そのためには……、という例としてこの演習での体験を書いてみた。実際鴎外と近代の恋愛観をテーマとした、優秀な卒論を書いた先輩もいる。後に続く皆さんにもがんばってもらいたい。

 もう一つ、注文。上の例は演習だから、大勢で討論する中で議論が深まって行った。しかし、まずは自分の頭の中で自問自答して欲しい。論文ではそれが大事、と言うより、演習でもそれをやった上での発表・討論となれば、さらに深い認識に到達できるだろう。
 では、後は教室で。


投稿日時: 2008年12月11日

 武蔵大学では、第二外国語として「韓国・朝鮮語」の科目が設置されて数年になるが、3年前のカリキュラム改組で新たに設置されたこの上級演習の授業は、学部で初級段階の学習を終えた学生がさらに上のレベルのトレーニングをするための授業だ。カリキュラム的には日本・東アジア比較文化学科の学生のための授業になっているが、今年からは聴講生も含めて全学部から出席者を得て、毎週、和気藹藹の雰囲気で授業が行われた。また今年からは韓国の高麗大から交換留学で武蔵大に来ている学生たち全員にも受講してもらって、雰囲気に花を添えてもらった。

 授業の内容は大きく分けて2つ。1つは新聞のコラムなど韓国語で書かれた短い文章を日本語に翻訳する練習で、もう1つは自由テーマで行なう簡単なプレゼンテーション(もちろん韓国語で行なう)である。特に前者の作業で圧巻だったのは高麗大の学生たちの日本語能力の高さである。同じ韓日翻訳の作業を、日本の学生と韓国の学生が同時に行なうわけだが、日本の学生には文字通り「翻訳」であっても、それは母語への翻訳であって、原文の意味が多少分からなくてもそれをごまかすことはできてしまう。だが、韓国の学生にとってこの作業は「外国語」への翻訳なわけで、単なる語彙力だけでは解決できない問題も多々ある。

 しかし、高麗大の学生らはそれを見事にやってのけた。これは武蔵大の学生にもかなり刺激になっただろうと思う。また、高麗大の学生たちが時折はなつ質問、日本語や日本文化に対する問いは、日本の学生たちにとって、そのような発信に対して、何をどう考えてどう答えてやればいいのかを考えるいい機会になったにちがいない。――また、この演習が5限にあったせいか、授業後、受講生同士何となく連れ立って食事に行くことも、ひと月に複数回はあったようだ。そのような場所でわいわいやりながら交わされた様々な議論は、ときに日本と韓国という国や民族を越えて、互いの真の理解のためには何が必要なのかを感じさせる、いいきっかけになっただろう。

 この演習と直接結び付いているわけではないが、毎年9月に私が開催している韓国ゼミ合宿には、この演習の履修生も多数参加した。韓国現地では、やはり交流校である高麗大を訪問して向こうの学生と交流するが、前年に武蔵に留学していた交換学生らと再会したりと、この演習を基点とした交流の幅もかなり広がってきた。また、武蔵の学生が翌年の韓国留学を心に決めたりするのも、この演習や9月のゼミ合宿への参加が大きく影響しているようである。来年の演習でも有意義な交流を期待したい。

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2007年9月、韓国・高麗大文学部前で高麗大の学生たちと


投稿日時: 2008年10月7日

・「芸術の都パリ」という呼び方は、いつからそのように呼ばれるようになったのか?
・印象派時代のパリはどんな街だったのか?
・何故、19世紀にファッションが発達したのか?
・19世紀後半、何故、日本の芸術はあれ程愛されていたのか?

一年間で、19世紀から1930年までのフランスの文化についてみんなで調べましょう。その当時の日本人の芸術家、文人の多くはパリに滞在、または移住して作品を作りました。黒田清輝、藤田嗣治などがそうです。国際的な街になったパリは芸術の中心となり、たくさんの傑作を生む土壌となりました。

2年生から4年生までを対象にした授業ですが、フランス語を学んでいない学生でも参加できます。ドイツ語、中国語、英語を選んでいる学生も参加しているので、お互いに学ぶことが多い授業です。授業はすべて日本語の資料をもとにして行われ、発表も日本語で行います。

今年は、楽しく興味深い発表がたくさんありました。
画家モネー、ドガなど、モンマルトルの有名なキャバレーに通っていた画家と文人たちのこと、映画の誕生、ジャポニスムについてなどがありました。
ビジュアルを用いながら、本をもとにして発表は行われるので判り易い授業です。発表後には、ディスカッションをしますので、恐れずにみんなで楽しく話し合いましょう。

Bigot
ジョルジュ・ビゴーによる1900年のパリ万博のためのポスター


投稿日時: 2008年9月22日

 今から2年ほど前に、ある私立大学客員研究員として、家族を伴いアメリカに半年ほど滞在したことがあります。当時9歳だった娘と5歳だった息子は、地元の公立高校に転入することになりました(アメリカの小学校は、日本の保育園年長組から始まります)。その時の娘の経験を聞いて下さい。

 彼女は、毎日スクールバスで学校から帰ると家のトイレに飛び込んで、出てきてはフーと長いため息をついていました。数日経ってからやっとその様子に気づいた私は、「どうして学校から帰ると、いつもトイレに駆け込むの」と尋ねました。「アメリカの学校って、休み時間がないから、いつトイレに行っていいかわかんない」というのがその答え。学校にいる間、トイレに行けなかったとのことでした。

 びっくりした私は次の日、学校に赴き、担任の先生に事情を聞きました。なるほど、確かに日本の学校にあるような休み時間がなく、トイレに行きたい生徒は、授業中に席を離れ、「トイレに行きます」という札を出口の扉のところにかけて、自由に用を足しにいく仕組みになっていることがわかりました。ご存知のとおり、日本の小学校では、時限が終わるごとに休み時間が与えられ、トイレにいったり、水を飲んだり、一息いれたりする時間が割り当てられています。これでは、うちの娘が戸惑うのも無理はないと、妙に納得したのを覚えています。先生に日本の制度の説明をし、娘にアメリカの制度の説明をして、次の日からは、娘が家のトイレに駆け込むこともなくなりました。やれやれ。

 前置きが長くなりましたが、私が担当する英語圏文化演習は、このときの経験をきっかけとして構想したものです。半年間の滞在期間に、日米の小学校教育のちがいがいろいろと目に付くようになりました。教室の配置やインテリアやザイン、アメリカには日本の学校の職員室がないこと、食堂・カフェテリアでの食事と給食、入学式、運動会、遠足などの年間行事、PTAのあり方など。また大学教育のちがいについては、私自身の留学経験もあり、いろいろと気になっていました。(写真はある州立大学キャンパスの学生寮。新入生全員に寮生活を要求する方針も、日本の大学と大きく異なります。)そこで、日米の初等・高等教育の比較をテーマに設定しようと思い立ったわけです。

 教材としては、邦語・英語の文献資料に加え、各学生にウェブから収集してもらった情報も利用しました。今年度からは、ABC、CBS、NBC、CNN、FOXなどのメディアが配信している動画を積極的に活用しようと考えています。現在進行形でアメリカの教育についてのニュースをキャッチし、文献によってその文脈や背景についての理解を深め、受講する学生諸君それぞれが、独自の日米比較論を展開してくれることを期待します。この演習での学習、発表、質疑応答によって、一人ひとりが、アメリカの教育制度の実像を明らかにし、それに基づいて私たちの教育制度の長所と短所を浮かび上がらせてくれるでしょう。12月には恒例のゼミ合宿を実施し、各自の成果を競い合う予定です。


写真: アメリカン・キャンパスライフの中心 学生寮

アメリカン・キャンパスライフの中心 学生寮


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