教授 小田原 敏(おだわら さとし)
明治大学政経学部政治学科卒業。上智大学大学院文学研究科新聞学専攻博士後期課程満期退学。(財)東京ケーブルビジョン、(財)電気通信政策総合研究所、CNN DAYWATCHメインキャスター等を経て、'94年から'04年まで関西大学総合情報学部助教授。'98年から1年間トロント大学マクルーアン(マクルーハン)研究所で在外研究。2004年本学教授として着任。
「テレビニュースの解剖学」新曜社2008(共著)、「メディア時代の広告と音楽」新曜社2005(共著)、「メディアと情報のマトリックス」弘文堂1995(共著)、「ネットワーク型社会の構築」ぎょうせい1993(共著)、「情報通信業界」教育社1991(単著)
日本マス・コミュニケーション学会、日本社会情報学会
おもしろいと思える勉強が見つかるか
私が生まれて初めて「勉強してみたい」と思ったのは、何を隠そう大学4年の正月だった。卒業を間近に控え、就職先も決まっていた。それまで、正直なところ勉強がおもしろいと思ったことは一度もなかった。クイズのような反射レベルのことがあまりに多かったために、興味が持てなかったのだ。
しかし、自分のテーマ(メディアと社会的な機能)で卒業論文を書いているうちに、初めてわくわくするようなおもしろみを覚えた。そのテーマは、よく考えると小学生の頃考え始め、高校になって自分なりに考えを深めていたこととつながっていた。たしかにそれまでの学校では教科として教えられることもなかったが、大学では、それがひとつの勉強(研究)として認められることを知った。
幸運だったのか、それとも不幸だったのか、社会へ出る直前に、生まれて初めて勉強したいという感覚を覚えてしまった私は、大学院で勉強してみる道を選んだ。もちろん自力でだ。私のようなケースは少ないのだろうが、自分がわくわくするようなものに出会えるかどうかはとても大きな意味を持つ。
人は、おもしろいと思えるものに出会えれば、水を得た魚のように生き生きするはずだ。しかし、それは向こうからやってきてくれるものではない。自分自身であれこれ悩み、いろいろな試行を経てその先に見えてくるものなのだ。自分で何もせずに、わくわくすることが目の前に現れることはない。
願わくは、すべての学生たちが自分だけのおもしろいテーマを在学中に見つけてくれることを望む。しかし、仮に大学時代に見つからなくても、それは無駄ではない。仕事をしながらでもきっと「ああ、これはこういうことだったんだ。これはおもしろいことだ。」と合点する時が必ず来るはずだ。私も学生ひとりひとりが「自分たちや自分たちの社会を知っていくことのおもしろさ」がわかるよう、全力でサポートしていくつもりだ。