2016.01.15

Category:メディア社会学科

メディア社会学科 教授 奥村信幸

被災地で伝えるべき言葉を見つける 奥村ゼミ

今年度の3年生ゼミは5人という小所帯だ。でも、みんな「知りたい」、「何か伝えてみたい」という意欲に満ちた精鋭たちだ。しかし、ちょっとした弱点があった。いろいろな授業で出てくる東日本大震災で被害を受けた東北地方を誰もちゃんと訪れたことがなかったのだ。

そういうわけで12月に石巻を訪れた。受け入れてくれたのは、津波で輪転機が水没し、約1週間にわたって壁新聞を出した、あの石巻日々新聞だ。ゼミ生は、市内の商店街の一角に開かれた「Newsee(ニューゼ)」という震災のことを語り継ぐ施設に集合、館長で当時の編集局長、武内宏之さんから被災から復興へ、この4年半余りのことを聞いた。

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その後はグループに分かれて、街のキーパーソンたちに密着取材だ。「がんばろう石巻」の看板を建てた黒澤健一さんをはじめ、景観を統一するため役所と建設業者の間で調整したり、日常のよろず相談から、語り部養成まで幅広く仕事をしたりしているNPOやボランティア団体、ヤフー復興ベースなどを訪れて話を聞き、映像に収めていく。数時間どころか2日間にわたった取材もあった。

おくむら4

街中を駆け回り、話を聞いていくうちに変化が生まれた。訪れる前は「たいへん」、「かわいそう」、「復興」のような漠然としていた言葉ばかりだったのが、「避難所での人間関係」「新しい商店街の景観」など街の話題や課題を表す言葉に変わってきた。

しかし、被災して5年近く経っても、ほとんど手つかずの南浜地区を訪れると、さすがに言葉が出てこない。圧倒的な自然のつめ跡を目の当たりにし、人々の絶望を感じて途方に暮れる。取材を進めていくほど「何を言ったらいいのかわからなくなった」という声も出た。

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救いになったのは帰りに立ち寄って話を聞いた仙台市、河北新報の大泉大介記者の言葉だ。「沈黙するのではなく、『言葉も出ない』と率直な気持ちを伝えるのが大切だ」と。そうして気持ちを通じ合い、会話を紡いでいくことからしか何も始まらないということを実感した瞬間だ。

これをきっかけに、自分でもう一度訪れてくれるヤツがいると信じている。

おくむら2-1

 

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